KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

ラジオのこと

わたしは、ダラダラとしゃべっている時間が好きで、ラジオやポッドキャストなど、比較的よく聴いているほうだと思う。ラジオは、かしこまって聴かなくても、聴きたいところだけ聴いておけばよいから、気が楽である。

映画や本は、やっぱり、観たり読んだりするためだけの、それ用の時間が必要だと思うのだけれど、ラジオは、他のことをしながら聴けるからよい。というより、聴いても良いし、聴かなくても良いように、ラジオは散漫なものとしてデザインされている。たとえば、オールナイトニッポンの作り手も、一晩中ラジオに正面切って座って聴いてる人を想定して作ってはいないだろう。メディア(コンテンツを伝える物理的なモノ)に身体が固定されず、寝落ちできる、あの感じ。あれが、ラジオのよいところだ。

ある時期、clubhouseというアプリもあったけれど、結局、あんまり流行らなかったようである。たぶんそれは、ラジオは、ラジオだけに注意を向ける聴かれ方が想定されていないがゆえに、「アテンションエコノミー」みたいな、注意をどう惹きつけ続けるのかという、いまのネットで支配的な経済圏(もしくは、「エートス」のような、より慣習に近いもの)と馴染まないからだと思う。
ラジオは、そもそも、注意散漫なメディアである。だから、アテンションを惹き続けることを良しとするような今の世の慣習に、そぐわない。それに、視覚的なメディアと違って、情報を得るのに時間がかかる。そういう意味で、ラジオは「タイパ」が悪いのだが、「タイパ」の悪さゆえに、メディアに身体が操縦されずに済むのが、ラジオの魅力である。


そんなわけで、Podcastを始めてみることにした。友達ふたりと私の3人で、好きなことを喋ったり、好きな人に来てもらって話を聴かせてもらったりする、とっても愉快なラジオになる……予定である。
この数年、わたしは、本を読んだりする時間を意識して増やしていたのだけれど、最近は、考えていることを、そのつどの形にして、世に開いていくことも大切なことのような気が、してきている。そういう、流れゆく思考に対して、ブログなり、ポッドキャストなり、演劇なり、少しずつ、形を与えていきたい。絶え間なく流れていってしまう、考えていることの中身が、一つずつモノとして残っていくのは、わたし(たち)の世界の足場を、少しだけ固めてくれる、かもしれない。

とりあえず、自分が、洗い物とかしてるときに聴きたくなるラジオを目指して、ゆるゆる、やっていきたい。

 

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