KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

私的・コロナ禍振り返り(舞台制作編)

Googleフォトには、数年前の同じ日に撮った写真を一番上に表示してくれる機能があって、コロナで中止になった公演の会場を下見に行ったときの写真がたくさん表示されていた。コロナ禍もいつの間にか終わりを迎えていて、最初に公演が中止になってから、だいたい、3年経った。


コロナ以前は、舞台制作を名乗っていた時期もあったのだけれど、コロナ禍で公演の数も減ってしまったし、参加した公演が中止になったときの徒労感を味わうのも嫌になってしまったので、最近は、辞めてしまった。

コロナ禍に入る直前の2019年10月に、わたしは、「Re: 制作の鈴木です」という記事をnoteに書いていた。
その記事によれば、舞台制作とは、つぎのような仕事である。

制作というのは、自分の好きな作品や才能を世に広める仕事でもある。
(中略)

自分がつなげなければ出会わなかった、人や、場所同士が、つながって、素晴らしい作品が出来上がっていく様を目撃するのは、制作冥利に尽きる。そういう意味では、アクティブに創作に関わっていると言えるのだし、好きな価値観を広めるという点で言えば、自分が作品を作るのと同じくらい、広めている。

制作というのは、そういう仕事である。

シンプルである。それに、なにか文章がピチピチしていて、ちょっと元気になる感じすらある。

ひと・場所(・金)を繋げて、新しい価値観を生み出して広めるのが制作だとして、今でも、そういう志向は私のなかにある程度残っている。人と人がつながってコミュニケーションが生まれること自体(なにも生み出さなくても)、楽しいことだと思うし、今でも、わたしはそういうことに時間を使いたいと思っている。

それでも、制作の仕事は、最近は、ほとんどやらないようになってしまった。


それには、やっぱりコロナ禍で公演がたくさん中止になったりしたことや、リスクを孕みつつ公演を企画することについて、あれこれ、考えさせられたからのように思う。


自分のnoteを読み返していると、コロナ禍ごろから、どんどん不安定になってきていて
面白い。とくに、2021年10月に書いていた「舞台制作者と芸術と傷と」という記事は、文体も含めて、結構メチャクチャである。

新自由主義が、明示的/非明示的であれ、自己責任論として社会全体の倫理に変容していくとき、芸術の制作者は、アートを通じて連帯を作ることで、ささやかな抵抗を試みることが、できるかもしれない。趣味縁的な繋がりを意図的に作って、劇団の存続を試みると同時に、社会的意義に訴えかけることができるかもしれない。このこと自体、確かに、社会に対する対症療法として意義があるだろう。
他方で、私は、アートを出汁に鍋を囲むことが、社会を変えていく切実な活動でありうるのかどうか、今、分からないでいる。柳美里が言うように、徒党を組まないとやっていけないような芸術家を、私は芸術家と認めたくない。
(中略)
舞台制作者は、芸術と商業の境界線でしか活動できない。自身が境界線上にいることを忘れた瞬間、彼が制作者として芸術に関わる意義は失われてしまうだろう。
芸術が「鋭い刃物のようなクサビで、人と社会とを永遠に分断させる」一方で、制作者は、集団の存続のために、人と作品、人と社会とを連帯させようとする。そのような意味で、やはり、舞台制作者は、彼が誠実な制作者である限り、イスカリオテのユダたらざるを得ない。

そうであるならば、と書こうとして、手を止める。

そうであるならば、どうすればいいんだろう。
皆目見当もつかない。

つまり、アート関係者同士(だけ)が仲良く過ごしている繋がりを制作者的に作っていったところで、芸術に求められる「新しい価値観」はけっして生まれないのだから、「つながり」を作るだけの制作者は、劇団存続の条件ではありえるかもしれないけれど、芸術本来の活動と両立しないよなあ、というようなことを考えていたのだった。それに、「趣味縁的なつながり」が、どれくらいコミュニティとしての相互扶助の機能を持ちうるのかも、じつは結構怪しいように思う。ギャラのつながりはギャラのつながりでしかない。

アートマネジメントは、社会という庭に「価値観」の種を植えて育てるようなものだろう。育ててみたら、とんでもない木が生えてしまった、ということだってありうるように思う。……と考えると、やっぱり、作品の中身(作品によって提示される価値観)に対しての批評的な視点は、芸術家という木だけでなく、その木を育てる制作者にとって必要不可欠なはずで、だとしたら、エネルギーを使って、世に広めるべき価値観とは……???

 

……とか、なんとか、ややこしいことを考えていて、がんじがらめになっていたコロナ禍だったように思います。

最近、読書会ばかりやっているのも、こういう経緯で、もう少し、自分で考えるための足場が固められたら、現場に関わる時間を増やしていきたい次第です。

 

いまは、どこかの劇団に入って制作「だけ」をやることは、全然、頭にないのですが、お声がけ頂けたら、いろいろ、手伝いとか、作品の題材に関するリサーチとか、出演でもなんでも、(関心に合う範囲で)やりたいと思っておりますので、どなたでも、お気軽にご相談くださいませ……。

 

(結局、「お仕事募集」の記事みたいになってしまった……!)

 

 

 

公演会場の下見で撮った4年前の写真。公演は中止になった。