KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

イラッとすると、ついついゲームしたくなっちゃう病

タイトルの通りである。

どうも、ストレスが溜まると、わたしはゲームをしたくなってしまう。これといって楽しいとか、そういうわけではないのだけれど、「ストレスが溜まったらゲームの世界に逃避せよ」というような指示が、おそらく、青年期くらいから、わたしの身体のなかに埋め込まれている。これをわたしは、「イラッとすると、ついついゲームしたくなっちゃう病」と命名している。

10月は、忙しかった。研究は全然進められなかったのだけれど、ストレスが溜まっていたせいか、やっていたゲーム(「ゼルダの伝説」の最新作)はどんどんと進み、気がつけばラスボスがやっつけられていた。ただ、楽しんでやっているわけでもないので、あんまり内容は頭に入っておらず、わけもわからないまま大きなドラゴンみたいなのをやっつけて、クリアした後にYoutubeでストーリーの全貌を知る、というような有様である。

ゲームは、やることが明確だから楽しいのだと思う。ゼルダであれば、とりあえず魔王を倒せばよいわけだし、パワプロ(野球ゲーム)であれば、相手チームに勝っておけば良い。「強さこそ正義!」みたいな、弱肉強食を謳歌できる世界観。勝利という目的のためには4番に送りバントすら厭わない勝利至上主義。サディスティックにボコブリン(ゼルダに出てくる雑魚敵)の集落を襲撃する悦び・・!人間がわたししかいない世界の特権である。

・・と書きつつ、やっぱり、それほど面白くないのである。じっさい、11月に入って少し生活が落ち着いてきて、それほどストレスが掛からない生活に戻ってからは、気がつけばSwitchはどこへやら、今日は本ばかり読んでいた。

忙しくなればなるほど、いや、生きるための時間が増えれば増えるほど、身体が、動物的な悦びを求めるようになってしまうような気がする、すくなくとも私の場合はそうだ。たぶん、ストレスで二郎系に行っちゃうみたいなのも、そういう心理なのだと思う(わたしは二郎ラーメンに行ったことがないので想像だけれど)。たぶん、生きるための欲望と、動物的な衝動とが、深いところで結びついてしまっているのだ、わたしたちは。
生きるための労働を重ねて、ストレスが積もれば積もるほど、そういう、(ゲームのなかで)ボコブリンやライネルをボコボコにしたり、野球ゲームでサヨナラスクイズを決めて絶叫して喜んじゃう、自分の中の根源的な動物性を垣間見させられるから、やっぱり、忙しくはありたくないものだと思う次第です。

 

ひたすら喋っていた、窓から。わたしたちにはおしゃべりの時間がたりない