KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

よみちにひはくれない

noteから、はてなブログに移行して、半年くらいが経った。

私はほんとうに「気にしい」なので、「いいね」とか「スキ」とか、ついつい気にしちゃうのだけども、はてなブログはそういう機能がないからいい。評価したり、評価されたり、そういう観点から人を眺める文脈から、自由になりたいと思う。

そういう、評価の文脈から自由になるということが、大人になるということなのかもしれないけども、だとしたら、わたしは大人になれるかどうか、あんまり自信がない。自分が、ほかの人や自分自身を評価しないことから、地道に始めていくしかないのだろうな。

 

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いま、そこそこ忙しかった仕事も終わって、自由な時間が手に入った。それは良いのだけども、つい、3年くらい先の未来のキャリアがチラついたりして、食べていくために小手先でこちゃこちゃやっている節がある。よくない。本だの、演劇だの、映画だのを楽しむ自由な時間が欲しくて、これまで色々頑張ってきたのに、いざ自由な時間が手に入ると、さらなる未来の自由のために、現在のやりたいことを犠牲にしてしまっている。

でも、「やりたいこと」ってなんだろう、とも、ふと問い返してしまう。
「あなたのやりたいことはなんですか?」という質問、子どものときから現在に至るまで、生きることに関する重要な場面で何度か問われてきた記憶があるけども、自分がどう答えたのか、まったく覚えていない。家でぐーぐー寝ていたいときもあるし、おいしいご飯を食べたいときもあるし、太陽が沈むまで河面を眺めていたいときも、そのときの気持ちに応じてあるけども、たぶん、そういうことじゃなく、人生を通してやり遂げたい「使命」みたいなものを訊かれていたのだと思う(ヴェーバーだったらBerufと言うだろう)。でも、もはや革命も起こらないし、再開発でつまんない街ばっかりになっていくし、イスラエルパレスチナ人を殺しまくっているのに見逃されている(ウクライナのときと対応を一貫させろよと思う)し、そんな世界で、やり遂げたいこととか訊かれても、ちょっと困る。わたしの欲望は、社会とは関係のないところで、わたしだけの欲望として胸のうちに秘めさせておいてほしい。

 

日本のZ世代の二人に一人が「子ども欲しくない」とアンケートで回答したらしい(https://webtan.impress.co.jp/n/2023/02/27/44371)けども、そりゃそうだろうなと思う。実質賃金の統計とか出すまでもなく、みんな体感レベルで貧しくなっているわけだし、そもそも、今後、幸せになることなんてあるのか、という。子どもが生まれたとて、いつのまにか誰かに命名されていた「台湾有事」とかいう何かにかこつけて、兵隊として消費されてしまいそうな気すらする。いや、そうならなくても、今から生まれてくる子どもが、年金だの、大学の高い学費だの、払わされ続けるのは可哀想だなと思う。生まれること自体は嬉しいことだけども(というか、それは「嬉しさ」とかで測れるものでも、もはやないのかもしれませんが、)あんまり可哀想なことにはしたくない。わたしもギリギリZ世代に入ったり入らなかったりする世代だけども、そういう意味で、あんまり未来に対して、希望も、欲望も、持てない感じがする。

 

そういうわけで、新年から、気力が少し萎えてしまっているのですけども、まあ、絶望している限りはこれ以上絶望しなくてもよいのだし、むしろ、そのことを希望に、春の訪れを待って低体温ながら生きながらえたい次第でございます・・。

 

 

「あてにならない時計」と書いてある、