KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

サンタクロースと、いたいけな大人たち

 サンタクロースを信じていたのは何歳ぐらいまでだっただろうか。

 わたしの通っていた小学校は、「サンタはいない!」ということに気がつくのが比較的早い小学校で、小学校2年生くらいには、「いない」ということを、みんなが共有していたような気がする。もちろん、頑なに、「いや、いる!」という子もいた気がするけれど、みんなやさしいから、そういう子の前ではあんまりサンタの話はしていなかったように思う。(子どもたちにとって重要なのは、サンタがいるかいないかではなく、プレゼントをクリスマスにもらえるかどうか、ということなのだ)

 ただ、「子どもたちはみんなサンタがいないことを知っている」ことを、親たちが知っていたかと言われると、怪しい。わたしは、サンタの正体を知ってしまったらプレゼントが貰えなくなってしまうのではないかと思って、サンタの正体に気が付きながらも、親を喜ばせるために、サンタへの手紙を小6くらいまで毎年書き続けていた。(そういう友だちは、友だちには打ち明けなかっただけで、ほかにも何人かいた気がする。)

 それに、子どもだって、大人たちががっかりする顔を見たくない。サンタへの手紙を書いておけば、じっさいに信じていようが信じていなかろうが、演技をすれば、とにかく目の前の大人たちは喜ぶのである。そういう意味で、子どもたちの側も、大人に対してやさしかった。

 子どもは、たしかに「いたいけ」なのだけれど、子どもが「いたいけ」であるのは、子どもの側の演技によって形作られていることがある。いや、というか、私の見立てでは、ほとんどの「いたいけさ」は、パフォーマンスによって形作られていたような気がしないでもない。「いたいけ」はパフォーマンスによって構成される。

 いや、しかし、そう考えると、大人たちは大人たちで、「子どもたちが、大人たちを喜ばせるためにサンタを信じている演技をしている」ことも、じつは知っていて、大人たちの側は、「演技をしている子ども」を信じる「いたいけな大人」を演じていたのかもしれない。つまり、サンタを信じる子どもを、いたいけなものと信じている大人を喜ばせようと、「いたいけな」演技をする子供を、騙されたふりをしてさらに喜ばせようとする、大人の演技である。子どもたちは、自分たちの演技が大人たちを喜ばせたと思って、喜んでくれる。方便の喜びをサンタを通して学んでいく、子どもの発達過程、そういうことに大人たちは喜びを感じていたのかもしれない。相手が嘘をついていると分かっているからこそ嬉しいこともある。

 それならそれで、大人の側も、やさしかった。

 

 

-----

 

いや、いるのだ、サンタは。

わたしはサンタを見たはずだし、母も見た。わたしはそのことを忘れているけれど、母はサンタ、のようなそれを、わたしが幼いときに、わたしと見た。わたしはそれより前の記憶がない、7歳の出来事である。

深夜、わたしを寝かしつけていたベットの方でガサガサと音がしたので目を覚ますと、わたしがいない。窓から空を見上げると、月光に照らされた赤い服を着たサンタクロースが、母のほうを笑って手を振っていた。八重歯だった。真っ赤なそりの下には、ロープで束ねられた子どもたちが、何人かぶら下がって風に揺られていた。先頭の方に縛られたトナカイたちは4匹いて、トナカイにしては変に足が短かった。角が生えていたから、たぶんあれはトナカイだったとあとから分かったのだと母は言っていた。わたしはそのトナカイを見ていたはずだが覚えていない。

サンタが鞭をしならせてトナカイの背中を何度か、ぶった。鈍い音が響くと、吊られていた子どもたちがわあわあと騒ぎ始めた。慌てて、サンタはトナカイを何度か叩き直しても、一向にトナカイの側には動く気配がないし、子どもたちも喚き続けている。サンタも苛立ってきたし、それを見ている母も母で、だんだん腹が立ってきた。いよいよ堪忍できなくなったようで、突然、かすれた声が響くと、子どもたちを垂れ下がらせていたロープは、ついにちょん切られた、そしてかつてロープだったものは夜空に散り散りになった。束ねられていた子どもたちは、それぞれの寝床と、ごろごろと転がり戻っていき、それを見ていた母は何も言わずに笑っていた。

 

----

 

 小学生のころ、何人かの子どもたちは、「サンタはいる!」と、すごい剣幕で言い張っていた。あれは、本当に、あのサンタを見たんじゃなかろうかと、ときどき思い返す。

 「大人」になるにつれて、今度は逆に、「大人」のように演技することが求められ、だれも「サンタの存在」について議論しなくなった。だけれど、じつは、あのサンタを見たことのある「大人」は、けっして口にしないだけで、けっこういるんじゃなかろうか。

 

 

 

トイザらスから届く、おもちゃのカタログが好きだった

おやすみ革命

 大学の(教える方の)授業が始まったのもあって、なかなかブログを更新したり、演劇や映画を見たり、小説を読んだりする時間が取れないでいる。ほかの研究者のひとたちは、どうやって、授業やゼミをやったりしながら本を書いたりできるんだろうと、あらためて不思議に思う。博士論文を書いていたときも忙しかったけれど、それぐらいの忙しさが、定年するくらいまで続くんだろうか。

 わたしは、もともと何をやりたかったんだっけ?

 とか、30歳近くなって、いまだに私は考え続けてしまっている。演劇やアートの優先順位は、自分のなかでは高かったつもりだけれど、なんだか生活が忙しくなるにつれて、そのための時間が全然取れなくなってしまっている。「本末転倒」という言葉も、ときどき頭に浮かぶけれど、物語とちがって、「本」も「末」も決まっていないものだから、生きることはなかなか難しい。(まあ、簡単すぎたら、それもそれでわりと飽きてしまいそうな感じもする、いや、飽きてもいいのかもしれないけれど。)

 

 周りの研究者の先輩や、芸術関係者、いつまでも若々しい感じがする。それは、見た目が、とかではなく、その人のさりげない所作振る舞いから滲み出るような、匂いが、だ。生きることに疲れていない感じがするのは、やっぱり、研究をしたり、芸術作品を作ったりして、自分なりに考えていることを(だれかの顔色を窺わず)人に伝えることが、生を錆びつかせないことにとって大切なことなのだろう、と思ったりする。わたしは全体的にふわふわしているものだから、わたしだけ、ある日、急速に老けていかないかどうか、ちょっと心配だ。

 

  

修士の学生時代(2019年)に書いたマンダラチャート

 そういう心配もあって、「もともとやりたかったこと」を探していたら、修士の大学院生のときに作った、マンダラチャート(目標達成シート)がGoogleドライブから発掘された。いま読み返すと、かなり小っ恥ずかしいのだけれど、まあ、5年も前のことだし、公開してしまおうと思う。

 まず、一番の小っ恥ずかしいポイントであるのだが、真ん中の「成功」というのが、今となっては、なんだかよく分からない。この5年間のあいだ、からあげをおいしく揚げることには何回か成功したが、対人コミュニケーションで失敗したことは限りなくある。

 それに、「ビジネス立ち上げ」と書いていたかと思えば、「腸内環境」とか書いてある。何を考えていたのか、ちょっとよく分からない。ヤクルト1000みたいなのを開発したかったんだろうか。「分からないことを分からないと言う」とかは、いい目標だなと、(今もできていないときあるので)ちょっと関心する。いずれにしても、全体的に小っ恥ずかしい。昔のこととはいえ、いまの人格を疑われないか心配である。

 

 こうして、かつてのマンダラチャートを見返してみると、悲しきかな、「もともとやりたかったこと」など、どうやら、なかったようである。

 いや、そもそも、「やりたいことをやろう」とか「好きなことで生きていく」みたいな言葉、2010年代にすごく流行ったと思うのだけれど、あれは、一体なんだったんだろうと思う。

 

 わたしは家でぐーぐー寝て、コーヒーを豆から挽いて飲んで、たまに文章をこうして書いて人に読んでもらって、ときどき感想などもらえたら、とても満足だ。

 そういう意味での「やりたいこと」は、わたしはある程度、今できているように思うけれど、たぶん、2010年代に「好きなことで生きていく」で言われていたことや、うるわしき日の私がマンダラチャートに書いてしまった「成功」という言葉で指していたのは、そういうことではなかったよな、と思う。なにか、イデアのような、理想の生活を追いかけることが、よきこととして考えられていたような感じがする。

 でも、「やりたいこと」しかり、「好きなこと」しかり、「もともとやりたかったこと」しかり、今ここにはないイデアを求めて、そのイデアを模倣していく作業は、キリがないし、いつも、そこはかとない「足りなさ」に付きまとわれてしまう気がする。なんだか、決して食べられないニンジンをトコトコ追いかけている馬みたいな感じである。(もともと資本主義とはそういうものだったのかもしれない)

 だったらば、それよか、あまり「もともとやりたかったこと」とか気にせずに、朝にはコーヒーを豆で買って家でごりごり挽き、うんうんと考えているふりをしながら論文を書き、夜には芸術のことをやったり、疲れて寝てしまったり、そういう、いまの自分が「やっていること」を楽しんで生きていきたい。「やりたいこと」を探すのは、「長さのない棒」を探したり、「1メートルじゃないメートル原器」を探すようなものなのだ。「青い鳥」はイーロンマスクがいなくなれば、戻ってくるかもしれないけれど、チルチルとミチルでない私たちは、それを探すのをやめなければいけない。

 

 「やりたいこと」による植民地化から脱して、100年後には(たぶん)みんないなくなっている無駄な生活への愛を、死守していきたい次第であります・・。

 

アラサーになってしまった

 

 

積み立ての詩学

会う人会う人、みんな積立NISAの話ばかりするものだから、(貧乏人のわたしとしては)不安に駆り立てられる。

そもそもNISAとは何なのかよく知らないし、なにを積み立てているのかもいまいちよく分かっていない。そうじゃないことは分かりつつ、「積立NISA」という言葉を聞くたびに、レゴブロックを積み上げている子どもの様子が、なんとなく頭に浮かぶ。わたしのなかだと、黄色とか緑とかの原色のブロックをはめ込んでいく遊びが、積立NISAだ。

具体的になにが積み上がっているのか、私はよく知らない。だけれど、たしかに、ブロックでも、モノでもコトでも、積み上げていくイメージというのは、人を安心させるものがある。ただ、同時に、人はそういう積み上がったモノを、メチャクチャにしてしまいたくなる始源的な欲求も持ち合わせているようにも思う。子どもがトランプタワーでもなんでも、倒すように、積み上げたものを壊すことは気持ちがいい。

かつての首相が言っていた「トリクルダウン」という言葉も、「積み上げ」のひとつだ。積み上げられたワイングラスの構造はそのままに、その中身のカクテルだけが、つぎつぎと溢れて下の方に広がっていく。中身のカクテルがつぎつぎと溢れ出していく様子を想像すると、なにか、ドミノを倒すときのような、生理的な爽快感がある。静的で秩序立っていた構造は、堰を切ったように颯爽と崩壊していく。

人間には、きっと、なにかを積み上げたくなる欲求と同時に、それを崩壊させたい根源的な欲求がある。いやむしろ、崩壊のために積み上げていることすらある。自分で積み上げたものを、自分でぶっ壊すことは、わりと気持ちがいい。

 

技術でも、知識でも、NISAでも、積み立てられるモノは、目の前で起こっている生活の基底的な層を覆い隠してしまうことがある。わたしたちは、自然科学を知ってしまった今では、子供のころのようにお化けと出会うことはできないし、時計の見方を知ってしまった今や、時間は伸び縮みしなくなった。(わたしはポモドーロテクニックとか使っちゃって、悲しいことに、客観的な時間の方に、生活の時間を管理させているくらいだ。)計画的な積み立ては、わたしたちの生活に上から被さって、最初にあった、身体と結びついた下層を覆い隠してしまう。
だとすると、積み上げの崩壊の爽快感は、そういう「積み立て」による覆い隠しを取っ払って、私たちが元々持っていた、生活の根源的な基盤を、瞬間的にであれ開け広げにするところからきているかもしれない。野球だって、一番気持ちがいいのはホームランが出て「走者一掃」したときで、それはボールによって支配されていた秩序だった構造が、ボールがグラウンドの外に飛び出ることによって、一瞬、崩壊するからなのだと思う。ソロホームランより満塁ホームランのほうが気持ちが良いのはそのためだ。走者が溜まったグラウンドがその鬱血に耐えかね、打球の飛翔とともに裸のグラウンドが明らかになるホームランには、エロティックなカタルシスがある。

 

そういうわけで、積み立てNISAの価値は、やがてそれが崩壊したときの爽快感にあるかもしれない。高騰よりも、暴落の方が歴史に名を残しているのは、それが人間に対して、一瞬の根源的な爽快感を与えているからだろう。

だから、やがて来るべき恐慌の日のために、NISAを積み立てようじゃないか。

 

f:id:minatosuzukiplaywright:20240908163719j:image

 

 

E-Sports(パワプロ)で諸葛孔明になりたい欲望

おそらく、このブログを読んでいる誰も、「パワプロ」をやったことがないだろう。ほとんどの人は、「パワプロ」が何を指しているのかも知らないと思う。
パワプロとは、「実況パワフルプロ野球」という野球ゲームのことである。二等身のお団子みたいなキャラクターが野球をしているゲームで、まあ、どこのゲーム売り場にも売っているくらいにはメジャーなゲームということになっている。

 

このゲーム、面白いのは、オンライン対戦で、いわゆる、E-Sportsである。

何年か前までは、プロリーグがきちんとあって、選手には給料が支払われていたらしい。そのときに作られたシステムなだけあって、かなり細かく洗練されている。昔の野球ゲームみたいに、強い球種を投げてれば抑えられるということはなくて、プレイヤー同士の駆け引きが重要である。とくに、野球ゲームなだけあって、細かい配球の駆け引きや、守備のシフトの駆け引きが重要になってくる。

たとえば、相手のバットの振り方や見逃し方で、相手の待っている球種を予測して、違う球を投げ続けたり、あるいは、あえて待っている球種をボールゾーンに投げて打ち取ったりする、という遊び方ができる。(ゲームに慣れてくると、打者がどういう球を待っているのか、あるいは、次に投手がどういう球を投げてくるのか、わりと分かる)

つまり、実際の野球でもありそうな駆け引きを、ゲームのなかで、部分的に楽しめるというわけである。

とくに、普通の野球だと、生まれつきの身体的な差が決定的に重要になってくる(たとえば、プロ野球選手は基本的に背が高い)から、まあ、わたしみたいな細身の人間は(基本的に)勝てないのだけれど、E-Sportsは、脱身体化されているから、生まれつきの要因に影響される要素が少ないから面白いなと思う。(まあ、動体視力とかは、生得的な要因も絡んでくるのかもしれないけれど・・)
とくに、野球は、本格的にやろうと思ったら、相手チームと合わせて18人集めないといけないので、インドア系な人間が気軽にできるスポーツではないのだけれど、野球ゲームなら、擬似的に駆け引きだけ楽しめるから面白いな、と思う。(ミスしても、自分にしか迷惑がかからないところも、良いところだ)

戦略を立てるという意味では、将棋や囲碁などのボードゲームも面白いのだろうけれど、私は、動体視力に根ざしたアクションの身体的な要素が少しだけ入っていて欲しくて、スポーツゲームをわりと遊んでしまう。
自己分析的にいうと、それはたぶん、脱身体化されきった、理性と理性の戦いで勝ったときより、身体的な要素も幾分か入った戦いのなかで、アクションの上手そうな相手を、駆け引きでやり込めたときの喜びが大きいからなのだろうと思う。(つまりまあ、諸葛孔明同士の理性の戦いで勝つのではなくて、身体的には明らかに優位な曹操に勝つ諸葛孔明に、自分がなりたいという欲望なのだと思う。)

基本的には脱身体化されたゲームという設定のなかで、身体的に優位な動体視力を持った相手に対して、脱身体的な理性で勝つことの悦びが、e-sportsにはある。

 

そういうわけで、最近、スポーツゲームにハマっている。
みんなも一緒にあそぼう。

 

 

 

レモンで野球した

 

 

センセイと呼ばれること

博士論文の審査に通ってから一年ほどが経った。「センセイ」と呼ばれることが増えて、海外での敬称も"Dr."ということになった。敬称が(Mr.やMs.などに代表される)ジェンダー規範から自由になったのは良いことだけれど、今のところは、全然しっくりきていない。

何を話すにしても、慎重に話さないと、「センセイ」という立場のもとで理解されかねないので気をつけないといけないと何度でも思う。今の日本では、大学院を卒業できるくらいの経済的余裕があった人しか、Ph.D.(博士号)を獲得することは基本的にできない。そういうPh.D.の称号やDr.、あるいは「センセイ」という敬称は、どうもインテリくさい。

個人的な体験談として、博士号を取って、そこそこ有名な私大で教鞭を取る(ことになっている)という話になってから、あらゆる物事で、明らかに話が通りやすくなった気がする。それは、博士課程での修行を経て、わたしの側での分かりやすく話す能力が上がったということもあるのだろうけれど、たぶんそれだけではない。称号そのものが、わたしの捉えられ方を、権力的な相のもとで、出会いに先立ってあらかじめフレーミングしている。

それが嫌で、初対面の人に「社会学者」を名乗ったりすることに対してわたしはとても慎重になっている。仕事を訊かれたときには、とりあえず「教員」と答えるようにしている。(それに、「社会学者」とかいうと、フーコーやらドゥルーズやらの話を仕掛けてきて、どれどれお手並み拝見しよう、みたいな人もいたりしてだいぶ面倒くさいというのもある。)勝手に羨望してくる人も、挑戦してくる人も、称号に出会いたいだけで、わたし自身と出会う気がないという意味で同様に面倒くさい。


博士号の称号が不可避に抱える権力性から逃げようとは思わないし、博士の称号に求められるべきことは責任を持って引き受けるつもりだけれど、称号から私のうちに差し込まれている光が、わたし自身から発されていると勘違いしないように、改めて気をつけたい。

 

https://minartsuzuki.hateblo.jp/entry/2023/07/20/154249

 

6月に観た作品の感想

6月は国際学会の準備に時間を使ったので、そんなに数は観られなかった。

ちなみに、5月に観た作品については、下のリンクから観られます。↓

minartsuzuki.hateblo.jp

 

以下、いま覚えているものだけ、つらつら書いていきたい。

 

-----

 

福田尚代さんの展示「ひとすくい」西船橋で観た。

幼き頃に慣れ親しんだモノ(消しゴムや漫画のコラージュ、本など)が、静謐に配置されていて、美しかった。
回文も良かった。回文には、人間が書いているというより、なにか、天から降ってきた言葉のように感じさせる力がある。すぐれた詩や戯曲もそうだけれど、美しい言葉は、頭から生まれるのではなくて、私を超えた何物かから現れ出るよなあと思う。

 

 

演劇では、身体の景色カタリ vol.4を観た。
観た作品は3つだけで、全てを観ることはできなかったのだけれど、観劇した作品のなかだと、大西玲子さんの「貨幣」が素晴らしかった。 
(これは山下澄人さんのラボで知ったことだけれど)三波春夫の「お客様は神様です」という言葉は、文字通りの意味らしい。つまり、観客を比喩で神様に喩えているのではなくて、そもそも人間が相手ではなく、神が相手である、ということである。

今の時代で、その演目を上演することの意味が大切なのだと思う。目の前の観客に一喜一憂するのでなく、自分が切に思うていることを捧げ出すのでなければ。
そういう意味で、観られて良かったと思える作品だった。

 

 

札幌にも行って、山下澄人さんのラボにも参加した。
ラボというのは、説明しづらいのだけれど、行ってない人にも分かる言葉で言うと、演劇のワークショップにわりと近いのだと思う。ただ、ワークショップと違って、なにか教わるというより、どちらかというと、なにかを作ったりするときの構えのようなものが分かったりする催しだ(と思っている)。わたしにとっては、とても、おもしろい。

コロナ前に東京で参加したきりだったので、4年ぶりくらいの参加だった。

4年前は、まだパフォーマーとして演劇に出ることもあったから、ある意味で「舞台慣れ」していたのだけれど、この4年間全くそういうことをしてこなかったからなのか、私の身体は、なんだか、いつになく緊張していた。

人前で緊張するたびに、(神がいるとして)神に対して緊張するなら分かるけれど、人に対して緊張してどうするんだ、ということを自分で自分に対して思う。おんなじ人でしかないのだし、その緊張が、最後には余計なカリスマを心のうちに生み出してしまう。
人を無意識に評価してしまったり、あるいはされることを無意識に恐れたりして、身体を強張らせて、殻のようになった身体のなかへと逃げ込んでしまう、その感じ、なんとかしたい。
(目の前の)人だけのためでなく、(神がいるとしたら)神のために作り続けなければ、と思う。

 

 

宮森みどりさんの個展『PROJECT ; ONE FAMILY STORY』にも行った。

作り手である宮森さん自身の、家族に関しての映像作品が中心。演技をしていることそのものを、観客に対して隠蔽せずに、むしろ、その人のその人性(実存)が現れる道具立てとして用いている点が面白かった。
一般的に、多くの演劇は、演技の演技性を隠蔽してしまう(演技であることが忘れられるような「リアルな」演技が目指される)けれど、わたしは演技の演技性が表れた瞬間に現れる実存の煌めきに興味がある。

トークショーに、題材として協力してくれたご家族を呼べるのは、題材と誠実に向き合った証拠だよなあと思う。演劇やアートは、ときとして実際に存在する人間を扱うことがあるけれど、本人や、その属性を抱えている人を呼べないんだったら、原則的にやらないほうがいいと私は思う(例外として、加害/被害の図式で取り扱われる問題における加害者本人を呼ぶべきかどうかは、議論の余地があるけれど)。

その作品を、誰に向けて提示して、どう現実と接触していくのかという問題は、ほんとうはマーケティングや広報以前の問題のはずだ。公の場に出すということ自体、現実と接点を持つことに他ならないのだから、芸術や虚構だからなんでもやって良いということにはならない。宮森さんの展示は、そういう(面倒くさいけれど最も基本的な)ことを、とても丁寧に作っていったのだろうということがよく分かるものだったので、好感を持って観た。

わたしの家族(というか両親)はずっと仲が悪くて、それが小さい頃からすごく嫌だったなあと思う。父と母は、たぶん15年くらい口を利いていないし、わたしと母も5年くらい話していない。実家も、とくに挨拶もなく、突然飛び出すようにして今の暮らしを始めている次第である・・。
いずれ、親の老いと向き合わないといけない日が来るのだろうと思いつつ、見て見ぬふりをしている現在である。

 

 

イベント「劇のやめ方・夏至」も観た。

友だちの松橋和也さんの映像作品『平林2294−4』と、矢野かおるメンバーで友だちの小栗舞花さんが参加している即興『浜』を観た。

『平林2294−4』は、「土葬の会」を追いかけた三十分ほどのドキュメンタリー映像作品。仏教的な輪廻思想から考えたら土葬が自然な発想になりそうだけれど、日本で火葬がメジャーなのはどうしてなんだろう、と考えるなどした。
なるべく、いまの日本人は、死(と腐敗)を、そのかつて人間だったものから遠ざけておきたいのかもしれないな、と思う。

わたしは死んだら、どちらかといえば土葬してもらいたい気がする。微生物たちが分解してくれたら、それをミミズが食べ、昆虫が食べ、鳥が食べ、動物が食べ、やがて世界中に散らばっていくだろうから。
生きている時には食べるだけ食べておいて、いざ死んだら食べられたくないというのは、すごくエゴイスティックなことのように感じる。(とはいえ、土地がないから火葬しているのかもしれないし、生きている人の好きなようにしてくれとも思う)


即興パフォーマンス『浜』は、日常の道具やライト、楽器などを使った、即興演奏に近いパフォーマンス作品(演奏がメインだけど喋ったりもする)。素晴らしかった。最近家でギターぽろぽろ弾いているのだけれど、ギターの弾き方が、少しわかった気がした。

わたしが即興が好きだというのもあるのだろうけれど、音楽の原初的な喜びを感じた。zzzpeakerさんのファンになりそうだ、いや、もうなっているかもしれない。

こういう一度きりの、現れては消えていく意味に還元されない瞬間、楽しいなあと思う。わたしも参加したくなった。

 

 

6月は学会で韓国に行った。つぎは芸術を観に行きたい

 

 

 

 

 

 

 

 

参加型アートの中断不可能性(おぼえがき)

 

前々回の記事に引き続き、「参加型アート」(特に、始まりと終わりの時間が決められているパフォーミングアーツ)における、観客の中断不可能性について考えてみたい。


 「パフォーミングアーツ」界隈で、観客参加型の上演は、とにかく流行っている。なべて、観客/パフォーマー脱構築(雑にいえば、観客とパフォーマーの二項対立を、演出的な工夫によって超えていきましょうみたいなこと)をコンセプトとして掲げている作品が多いように思う。

 こういう上演型の作品に対して、政治哲学的な文脈で(とくにアウラ型芸術への巻き込みを警戒するファシズム批判の文脈で)、集団を特定のパフォーマーという「カリスマ」がファシリテートして導いていくことの危険性を指摘する(わりとよくある)批判も可能なのだろうけれど、もう少し、ミクロなレベルから考えてみたいと思う。

 ちょっと考えてみたいのは、作品にもよるのだろうけれど、パフォーマー側は上演を終了させる権利を持っているのに対して、観客側は上演を終了させることができないというのが、決定的にパフォーマー/観客の脱構築を難しくしているということである。

 観客は、いかなる振る舞いをとっても、構造的にパフォーマンスに組み込まれてしまう。たとえば、マリーナアブラモビッチの作品に介入した観客も、エリカフィッシャーリヒテ的な意味でいえば、パフォーマンスの循環に取り込まれてしまっている。つまり、上演を止めようとする行為自体が、参加型アートにおいては、パフォーマンスの一部を構成してしまう。

 他方で、パフォーマンスの場を設定したパフォーマーの側は、上演を終了させることができるという点で、パフォーマンスの外側の行為を自発的に行なうことができる。(つまり、パフォーマンスの領域/日常生活の領域という区別において、観客は前者の領域にとどまらざるを得ない一方で、パフォーマーは、上演を終了することによって、後者の領域における行為を開始することができる。)ゴフマンの『フレーム分析』の言葉を借用するなら、フレームを上演のフレームから日常生活のフレーム(あるいは他のフレーム)へと転換させる権利は、パフォーマーだけが持つ。参加型アートにおいては、(演出法次第で)観客は、上演のフレームのなかでしか行為することができない。

 (このブログは備忘録も兼ねているので小難しく言っているけれど、簡単に言えば、パフォーマーだけが上演を終了させることができるということです)


 だとしたら、少なくとも、「参加型アート」であるということそれ自体は、(今の「参加型アート」の流行りのなかで暗黙理に前提されているような形で)民主主義的であることには決してならないよなあ、とか、思ってしまう。パフォーマー/観客のあいだに、「やーめた」って言えることができるかどうかという権利について、決定的な非対称性があるのだから。

 ジョンケージは「4分33秒」で観客のざわめきや外から漏れ聞こえてくる音を音楽の一部として提出した、というようなことをしたとされているけれども、それでも、上演の開始と終了は厳格に決められている。(4分33秒経ったら上演をやめるということ自体が、観客が居合わせる前にすでに決まっている!)

 

 (色々書いたものの)わたしは参加型の作品、結構好きなのだ。結構観に行ったりしている。ただ、こちら側がしていいことが、私が居合わせる前にあらかじめ決定されている感じがして、どうして急に歌を歌ったりしてはいけないのだろうと思ったりする。パフォーマーは急に歌うのに。(わたしの)うたが上手くないからだろうか。だとしたら、パフォーマー/観客の二項対立が、上手い人/下手な人にスライドされただけなのではないかとも思う。

 なかなか、「参加型アート」は難しい。つぎの作品のための備忘録としてここに記す・・。

 

 

空港の飛行機、なんか動いてる大きいものって落ち着く