KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

「訥」という音楽作品が上演されます

 

 公募に出していた「訥」という現代音楽の譜面が、審査を通過し、アーツコレクティブのRosettaさんに上演してもらえることになった。ありがたいことです。

 

rosetta-music.com

 

 この作品は、簡単にいえば、明確な議論の舞台に載せられる資格を得ることのなかった「声」を、フィラーに見立てて、あらためて舞台上に載せようという作品である。(これについては、この記事でも書いていたので、詳しくは割愛するhttps://minartsuzuki.hateblo.jp/entry/2023/06/29/232304) 

 

 現れることのできるということ、それ自体が持っている特権性や、現れているもの/隠れているものという構造に、自覚的でありたい。

 「弱い (とされた)側」が、どこかに実在している「強い(とされた側)」を転覆させて、新しい秩序を作っていくという話は、確かに分かりやすいのだけれど、なにか、「強さ(もしくは弱さ)」が言語に先立って実在しているかのような、本質主義的な匂いが漂っていて、そうした運動は、人格化された権力者を絶えず措定しながら進められているという点で、今後、あまりうまくいかないだろうなと思う。(そんなに権力って単純じゃないので。)

 わたしがこの1、2年、演劇に対して食傷気味なのは、まさにその点で、複雑な現実を教科書的なフレームに押し込めている限りは、捨象されたクリアなユートピアは見えてくるかもしれないけれど、具体的でカオスな現実は見えてこないだろうな、と思う。「家族社会学ケーススタディーズ」みたいな演劇に、わたしはあまり興味が持てない(いや、少し毒舌すぎるかもしれない)。

 何度も書くようだけれど、すでに顕になっていることではなくて、隠れているものを顕在化させていくことに芸術の価値が(あるとすれば)あるように思っていて、そういう作品を観てみたい(もしくは、作ってみたい)です。

 そういう背景のなか、同じような問題意識を持つメンバーで、共同で制作した作品が、こうして公募を通過して上演されることになったので、大変嬉しく思っています。5/12 京都市立芸術大学 多目的ギャラリー にて、上演していただきます。よろしければぜひ。

 

 

グレーゾーン、社会的意義、ドラマトゥルクのこと

 今日は、ドラマトゥルクについて今考えていることを、芸術の社会的意義という観点からまとめてみたいと思います。
 とくに、芸術に関しての社会的理解があまり得られているようには思えず、芸術業界と社会一般が遊離してしまっている現状もあるように思われますので、その点において、ドラマトゥルクが果たしうる役割について、今考えていることをまとめてみました。

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 芸術の社会的意義を考えるときに、まず、二つのことを考える必要があると思う。つまり、その作品がやろうとしていることは、(1)芸術にできることかどうか(2)芸術にしかできないことかどうか、である。

 (1)「それは芸術にできることかどうか」の方は、はっきり言って、簡単である。たとえば、観光客を誘致するために地方で芸術祭を開いたり、分断が際立つ社会のなかで連帯可能な、小さなユートピアを作ってみたり、ということだ。
 芸術には、「やりがい搾取」の問題などを孕んでいるものの、主に経済的な観点から、さまざまな形で効果があるということが、だいたい実証されている。だから、地域アート然り、芸術の経済的意義について、改めてここで詳しく論じ直す必要は、差し当たってはないと思う。
 芸術は、(それが芸術にしかできないかはさておき、)役に立つことがある。演劇はコミュニケーション教育に役立つかもしれないし、疲れ果てた休日に癒しを与えてくれることもあるかもしれない。それはたしかに、芸術が、既存の社会のなかで「役に立つ」側面だろう。

 ソーシャリー・エンゲイジド・アート然り、リレーショナル・アート的文脈を踏襲した芸術祭然り、芸術は、既存の社会のなかで、役に立つ。

 

 他方で、(2)「それは芸術にしかできないことかどうか」という点は、じつは、けっこう難しい。これは、めいめいの芸術家が、そもそも「芸術とはどのようなものであるべきか」という(ある種イデオロギー的な)問いに対して、切実に考え抜いたときにだけ、答えることの可能な問いだろう。

 この点について、わたしは、芸術の社会的な意義は、日常生活のなかで見過ごされてきた現象を、人々が眼に見える形で提示し直し、社会のなかに引き入れていくことにあると、(少なくとも今は)考えている。
 たとえば、セザンヌの絵にしたって、「客観的な世界」に安らっている人々が見逃していた、世界が構成されていく非反省的な瞬間(それまで意識に昇ってこなかった瞬間)を捉えたものであるし、あるいは、誰にも気づかれてこなかった差別を、見過ごされてきた問題として観客に対して提示するような作品もまた、芸術だと言えるようにわたしは思う。

 

 

 人々が見えているけれど気づいていない(あるいは、気が付いてはいけないことにされている)ような、これまで言葉にされてこなかった、名前のついていない社会問題を、社会のメンバーに知覚可能な形で提示することは、芸術の役割だろう。日常生活のなかで絶えず忘却され続けている言語化されてこなかった混沌を、秩序だった社会(言語化されている世界)に対して突きつけることは、おそらく芸術にしかできない。(あるいは、芸術的行為にしかできない)

 逆に言えば、芸術は、既存の社会のなかですでに問題化されている秩序だった文脈を踏襲するだけでは、少なくとも、それが芸術にしかできないことであるかどうかという問いに答えたことにはならない。すでに名前がついている社会問題は、名前がついている時点で、半分くらいは解決に向かっている。たとえば、「ヤングケアラー」という問題は、近年になってようやく、問題に対して名前が与えられた(与えられた名前が広がった)から、広く理解されるようになった。このように、問題に対して、名前を付けることは決定的に重要である。他方で、芸術は、こうした名指し以前の何かを取り扱う営みであるように、私は思う。

 この点は、エンタメと芸術の大きな違いであるように思う。エンタメは、既存の秩序だった文脈やドラマツルギーを踏襲するがゆえに、分かりやすくて面白い。娯楽という意味では、役に立つ。他方、芸術は、既存の文脈に対して混沌を投げ込んで亀裂を入れようとするがゆえに、分かりづらく、よく見なければつまらない。さらに、短期的な意味では(既存の社会から観察可能な有用性の次元では)、役に立たない。

 まとめると、芸術は、視界には入っているが誰も気づかなかった、名前のない問題を、社会のなかに引き入れていくことをしていく点に、「社会的意義」がありそうである。

 

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  そうした芸術を作ろうとするとき、芸術は、往々にして「よく分からない」ものになるはずである。これまで誰も語ってこなかった現象を取り扱っているのだから。むしろ、直ちに「分かる」ような芸術は、少なくとも先に述べたような芸術にしかできない「社会的意義」を十分に満たしてはいない。

 だとしたら、舞台芸術において、作品と社会とを接続させるドラマトゥルクの存在はやはり、重要なのではないかと思う。たとえばドイツだと、劇場付きのドラマトゥルクが、観客に向けたアフタートークやワークショップを企画し、観客の作品の理解を深め、また、作品が提示した問題に関しての対話を深めるきっかけを作り出しているらしい。作り手と観客との循環を生み出すプロセスにおいて、ドラマトゥルクが重要な位置を占めている。

 他方、日本において、作り手と観客の対話は、あまり積極的には生み出されてこなかったのではないかと思う。たとえば、アフタートークにせよ、有名な(?)ゲストが呼ばれて感想を喋るだけで、それほど積極的に、観客とのコミュニケーションは目指されていないように思われる(ときとして、客寄せパンダみたいになっていることすらある)。そうしたなかで、作品が提示している現象に対して、観客がどう思ったのか、そして、その内容の演出法は適切であったのか、というような議論は、少なくとも劇場のなかでは、あまりなされている感じがしない。あるいは、観客がそれについて議論できるほど、芸術家の側で、明瞭にテーマについて整理することができていない(現場が多い)という現状がある。

 

 そういう状況のなかで、やはり、私は、少なくとも小劇場演劇の業界においては、作品に対して他者の立場から意見が言えるドラマトゥルクが必要であるように思う。もちろん、作り手の側からすると、ドラマトゥルクにかき乱されない方が作りやすいし、その上、ドラマトゥルクが入ったことによる効果も分かりづらいから、ドラマトゥルクの必要性が理解されていないという現状はよく分かる。けれども、作品を、他者の観点を取り入れながら整理し、議論可能な形で社会に差し戻していく必要性もまた、作品の作り手は少なからず負っているように思うのである。
 たとえば、コロナ禍以後、若い演劇人でも、ある程度助成金を取ってから公演を打つというのがベースになってきたように思うのだが、そこには当然、税金が投入されている。そうだとしたら、先に挙げたような、芸術を手段としてしか達成されない社会的意義を果たすことは、作品制作者が負う責務であるように思う。

 また、(1)の「芸術にできること」だけを満たしても当然よいのだが、そうしたとき、芸術の領域自体、やがて経済的・政治的な文脈に回収されてしまうだろう。「金になる」だけなら芸術でなくともよいし、「コミュニケーション能力が身に付く」だけなら、教育でもよい。芸術それ自体の(芸術しか持たない)意義について考えていく必要がある。
 だとしたら、作品を社会に差し戻していくにあたって、他者の立場から、作品に対して意見できるドラマトゥルクは、やはり、いたほうがよいように思われるのである。

 

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 わざわざこんなことを書いているのは、やや「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」的な文脈にアート全体が惹きつけられていることに対して、わたしは少し懸念を覚えているからである。とくに、制作費の高騰もあって、劇場費節約の観点から、「グレーゾーン」(劇場的なブラックボックスと、美術館的なホワイトキューブの間に位置づくような、インスタレーション的なパフォーマンスが行なわれる場所,  アートギャラリーで行なわれる展示型ダンスなどが典型, Bishop 2018)での公演は、演劇業界で増えているし、今後も増え続けるだろうと思う。(とくに、小劇場文化を長年支えてきたこまばアゴラ劇場も今年中になくなるようで、あぶれた若手はグレーゾーン的な空間を志向せざるを得なくなるのではないかと思う)

 こうした「グレーゾーン」的な場所での公演のポテンシャルは、わたしも見定めかねているのだが、ビショップが指摘しているように、SNS的な拡散の文化との相性はかなり良いように思える。
 そうしたとき、どう、作り手が、インスタントな「社会的意義」と距離と取ったうえで、作品の芸術ならではの意義を提示できるかは、作り手に課せられた課題になるだろう。ビショップが指摘するように、グレーゾーンは、SNS上での拡散を競うような新自由主義的プラットフォームに成り下がる可能性も、デジタルな抵抗の拠り所を作っていく可能性も、どちらもあるだろう。

 こうした、舞台芸術が直面している課題を考えるにあたって、やはり、社会と観客の関係性を批判的に検討するドラマトゥルクの役割は大きくなっていく(べき)であるように思われるのである。

 

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日々過ぎ去り続けていく日常、を大切にしたい

 

 

 

 

 

 

 

 

よみちにひはくれない

noteから、はてなブログに移行して、半年くらいが経った。

私はほんとうに「気にしい」なので、「いいね」とか「スキ」とか、ついつい気にしちゃうのだけども、はてなブログはそういう機能がないからいい。評価したり、評価されたり、そういう観点から人を眺める文脈から、自由になりたいと思う。

そういう、評価の文脈から自由になるということが、大人になるということなのかもしれないけども、だとしたら、わたしは大人になれるかどうか、あんまり自信がない。自分が、ほかの人や自分自身を評価しないことから、地道に始めていくしかないのだろうな。

 

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いま、そこそこ忙しかった仕事も終わって、自由な時間が手に入った。それは良いのだけども、つい、3年くらい先の未来のキャリアがチラついたりして、食べていくために小手先でこちゃこちゃやっている節がある。よくない。本だの、演劇だの、映画だのを楽しむ自由な時間が欲しくて、これまで色々頑張ってきたのに、いざ自由な時間が手に入ると、さらなる未来の自由のために、現在のやりたいことを犠牲にしてしまっている。

でも、「やりたいこと」ってなんだろう、とも、ふと問い返してしまう。
「あなたのやりたいことはなんですか?」という質問、子どものときから現在に至るまで、生きることに関する重要な場面で何度か問われてきた記憶があるけども、自分がどう答えたのか、まったく覚えていない。家でぐーぐー寝ていたいときもあるし、おいしいご飯を食べたいときもあるし、太陽が沈むまで河面を眺めていたいときも、そのときの気持ちに応じてあるけども、たぶん、そういうことじゃなく、人生を通してやり遂げたい「使命」みたいなものを訊かれていたのだと思う(ヴェーバーだったらBerufと言うだろう)。でも、もはや革命も起こらないし、再開発でつまんない街ばっかりになっていくし、イスラエルパレスチナ人を殺しまくっているのに見逃されている(ウクライナのときと対応を一貫させろよと思う)し、そんな世界で、やり遂げたいこととか訊かれても、ちょっと困る。わたしの欲望は、社会とは関係のないところで、わたしだけの欲望として胸のうちに秘めさせておいてほしい。

 

日本のZ世代の二人に一人が「子ども欲しくない」とアンケートで回答したらしい(https://webtan.impress.co.jp/n/2023/02/27/44371)けども、そりゃそうだろうなと思う。実質賃金の統計とか出すまでもなく、みんな体感レベルで貧しくなっているわけだし、そもそも、今後、幸せになることなんてあるのか、という。子どもが生まれたとて、いつのまにか誰かに命名されていた「台湾有事」とかいう何かにかこつけて、兵隊として消費されてしまいそうな気すらする。いや、そうならなくても、今から生まれてくる子どもが、年金だの、大学の高い学費だの、払わされ続けるのは可哀想だなと思う。生まれること自体は嬉しいことだけども(というか、それは「嬉しさ」とかで測れるものでも、もはやないのかもしれませんが、)あんまり可哀想なことにはしたくない。わたしもギリギリZ世代に入ったり入らなかったりする世代だけども、そういう意味で、あんまり未来に対して、希望も、欲望も、持てない感じがする。

 

そういうわけで、新年から、気力が少し萎えてしまっているのですけども、まあ、絶望している限りはこれ以上絶望しなくてもよいのだし、むしろ、そのことを希望に、春の訪れを待って低体温ながら生きながらえたい次第でございます・・。

 

 

「あてにならない時計」と書いてある、



 

コロナ禍の私的振り返り その2

 仕事の関係で、コロナ禍のアート業界の趨勢について調べている。

 仕事の中身自体は、いつ、緊急事態宣言が起こって、いつ、まん延防止措置が取られて、それがどういうもので、AAFではいくら助成金が交付されて……というような、いわば客観的な事実関係を洗っていくという作業をしているのだけれど、仕事をしていると、自分の身の回りで起こった、ごく主観的で個人的な出来事についても、やっぱり、思い出してしまう。

 そんなわけで、当時の演劇関係のラインやメールなどを読み返してみる。私個人にも、当時の演劇仲間にも、相当に疲労が溜まっていく様子がはっきり示されていて、ちょっと見ているのが辛い。演劇は何回も中止になり、その度に関係各所に謝罪の連絡を入れたり、国のガイドラインに応じて消毒剤をあちこちから手配したり、ときとして「自粛警察」的な人から何度も連絡が送られてきたり、あるいは立場の弱さに乗じて金を持ち逃げされたり、誰がどう見ても、摩耗している。

 いや、わたし(たち)が摩耗しているというのもそうだが、それだけでない。皆、摩耗していた。自粛警察みたいだったあの人も、金を持ち逃げしたアイツも、皆、摩耗しているようである。おそらく、あちこちで、そういうことが起こっていたのだと思う。ミクロなレベルでの、いわゆる「分断」が、顕在化しないにせよ、あちこちで生まれていた。だったら、感染とか元から諦めて、高円寺で花見でもしていたほうが良かったのかもしれない。

 

 新型コロナは感染症法上の5類へと移行し、街ではマスクしていない人の方が増えてきており、2024年の1月現在、まあ、ほぼ「収束」したといってよいと思う。少なくとも、世の中では、「収束」したということになっている。普通の日常は、コロナ禍からの回復という意味に限っては、取り戻されつつある。
 ただ、コロナ禍で失ったものは、計り知れぬほど大きく、「あのときコロナがなければ」と思うことは度々ある。コロナ禍がなければ、(こればかりは分からないが、)まだぺぺぺの会に居続けていたような気はするし、バーゼルにも1年くらいは留学できていただろう。

 

 なにか、オルタナティブな未来を生きている感覚が2021年ぐらいからあって、どうも、アクチュアルな感覚を欠いているようである。かつて思い描いていた現実の方が正しくて、リアルな現実の方がむしろ、私にとってのアクチュアルな現実からズレている。「収束」と言えど、コロナ禍で生まれた亀裂も、分断も、何も、収束していない。亀裂によって生じた断層が、ズレたまま、二度と戻らないように。

 

 この2年間は博士論文を書いていたこともあって、演劇からやや遠ざかっていたけれど2024年に入ってから、ようやく、ゆっくりと考えるだけの時間ができて、演劇に関わっているときの自分の時間が動き始めたような気がしている。(逆に言えば、この2年間は、同じところをぐるぐると思考が回っていた気がする。螺旋的に上昇していた可能性もあるし、下降していた可能性もあるけれど、私には分からないし上とか下とかそういうものでもないのかもしれない。)いずれにせよ、ミネルヴァの梟が飛び立つ今や黄昏時である。

 いや、黄昏時というより、むしろ、斜陽という言葉のほうが頭に浮かぶ。「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ」という太宰治の言葉も、頭を擡げる。だけれど、夜道に日は暮れない。どうせそのオルタナティブな現実からのズレ感は、忘れることができない。だから、2024年は、忘却されつつある亀裂に向かって、むしろ一歩進んでみたい。現実の「現実」の方を、地に足つけて、強かに生きていきたい。

 

 

 

 

 

斜陽

 

 

 

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貧乏などをオープンにする

研究したくない日、というのはときどきあって、今日がその日である。

自宅の作業部屋の机に向かっているのだが、関係のない演劇の動画を観たりしてしまっていて、原稿のwordファイルを開く気になれないでいる。だから、今日は、今年立てた目標について、ここに書き記していきたいと思う。

 

年の頭に、2024年は色々なことをオープンにやっていく、という目標を立てたのだった。これまで仲間うちだけでやっていたことを、もう少し広い範囲の人が参加できるようにしていこうと試みである。

まずその取っ掛かりとして、ラジオやTwitterのスペースを、年末にやってみたのだった。(いい加減なことを私が喋りまくっていて、けっこう恥ずかしいのですが、よかったらぜひ)

t.co(読書会を一緒にやっているともだちと、ラジオをやってみた)

 

2023年は、比較的クローズドな形で読書会だの、作品制作だの、やっていたのだけれども、やはり、議論したことや、制作したものは公にしないと、社会に差し戻していくことはできないなあと、昨年を振り返って改めて感じたのだった。

クローズな形での議論は、継続していくと共通の言語ができてくるし、闇雲に(一方的に匿名で)攻撃されたりすることもないので、プライベートなものごとを含むトピックについて議論するときには向いていると思う。ただ、その一方で、議論を重ねていくなかで、だんだんとそれぞれの考え方がすり合わされていって、やがて自分の考えが変わる機会は減っていくようである。

それはそれで、決して悪いことだとは思わないのだけれど、似た考えの人が集まっているだけなようにも思えて、少し、物足りない感じが、私としてはしてきた。だから、今年は、そういう仲間内での議論だったり作品だったりを、ときどきオープンにしてみたいと思っている。

 

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演劇のチケット代が最近高い。

豆腐やモヤシ、タレのついていない納豆ばかり食べている私は、4000円も払って観劇に行けなくなってきた。だから、自分がやる演劇は、劇場とかではないところを借りて、チケット代も1000円くらいにできたらと思う。支援したい人はカンパ箱に入れてもらって、金がなくてチケット代が重たく感じる人は、そのカンパ箱から支払ってもいいです、ということにしたい。

 

こういう制作的なこと、いくらでも思いつくけども、演劇業界で、こういう試みをやっている人がいないというのは、どこもやっぱり苦しいのだろう、と思う。

 

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「オープンにしていく」のと関連して、最近わたしは、自分の貧乏さをあんまり隠さないようにしようと思っている。

基本的に、資本主義社会においては、貧乏であることは公言しないほうが、(金銭に限らず)あらゆる意味での投資が得られやすくなるので、お金は入ってきやすいと思う。人も金も、いかにも儲かっていそうな人のところに集まってくる。

演劇の場合だって、人気の劇団はやっぱり一度観にいきたくなるし、誰も観に行かないような劇団は、あんまり足が進まない。つまり、お客さんが集まらないから閑古鳥が鳴くのではなくて、閑古鳥が鳴いていそうだからお客さんが集まらないのだ。

だから、悲しきかな、いかにも儲かっていそうで、人脈もあって、困ってなさそうにするのが、こういう、くだらない社会を生き抜く上では最適解なのだろう。

だけれど、それこそが、社会のくだらなさの延命装置になっているのだと思う。ほんとうは、困っているときには困っていると声に出して言った方がよいはずなのだ。同じように困っている人同士で助け合えるかもしれないし、困っている人同士がつながり合って、法律や制度を変えたりできるということもある。あたかも金持ちであるようなフリをして、変なやつがたくさん集まってくるほうが、よっぽど、わたしは、おっかない。

貧乏や貧乏くさいことは、恥ずかしいことでは決してない。貧乏を隠して、誰とも助け合わず、社会の仕組みを変えようともしないことが、何より、わたしは、恥ずかしい。


……だから、貧乏であることや、困っていることを、なるべく今年はオープンにしていきたいと思います。

 

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ドイツ語で公共性は、Öffentlichkeit(エッフェントリヒカイト)であり、その語源のÖffnen(エフネン)は、英語のオープンと同語源であるらしい。たしかに、どちらもゲルマン語だけあって、発音も似ている。だからまあ、それに託けるかたちで、今年は、いろいろなことをオープンに開いていって、結果として公共性に資する活動ができたらいいなあと思っている次第であります。

 

 

 

今日の夢にはくらげが出てきたな、

 

 

「ボドゲー的孤独感」のこと

 どこも混んでいるし、友だちは実家に帰っているし、かといって何もしないのも、なんとなく怠惰な気がして罪悪感すら感じるから、年末年始ってば、苦手だ。

 今年から、わたしはパートナーと一緒に暮らしているのだけれども、年末は、パートナーは忘年会に行ったり、実家に帰ったりしているもんだから、哀しきかな、私はひとりでカップラーメンを啜るばかりである。ずる、ずる、ずる……。
(誤解のないように書いておくと、ご飯は、むしろわたしが作ることが多いです)

 

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 この話、うまく伝わるかどうか自信がないのだけれど、ボドゲー的孤独感」という現象、共感してくださる方、いらっしゃらないかしら。

ボドゲー的孤独感」というのは、いま私が命名した孤独感のことで、その名の通り、「ボードゲームをやっているときに感じてしまいがちな孤独感」のことである。「人狼ゲーム」やら、「はぁっていうゲーム」やら、なんでもいいのだけれど、私は、ボードゲームで人と喋っているとき、(それはそれで面白いのだけれど、その反面、)若干の孤独感を感じてしまう。

 たとえば人狼ゲームをやるとして、たしかに目の前の相手とコミュニケーションを取ることはできているのだけれど、「占い師いますか?」みたいなやりとりを通して、目の前の相手と仲良くなることは決してないだろうな、という、孤独感。コミュニケーションを取ること自体をゲームの主要なメディアとしているからこその、他のコミュニケーションのチャンネルの開かれづらさが、少し、あるのかもしれない。

 社会学者のE. Goffmanは、社会的活動のなかで、どの活動に注意を向けるべきなのかを、「支配的関与/従属的関与」という区別を用いて記述したのだった。たとえば、美容室で髪を切るとき、美容師さんの「支配的関与」は髪を切ることである一方で、「従属的関与」はお客さんとおしゃべりすること、になるだろう。

 コミュニケーションを主要なメディアとして展開されるボードゲームにおいては、「従属的関与」としての「おしゃべり」が、少し、難しい。あらかじめ、何を話すべきか/話さないべきかが、ゲームのルールの側で、支配的関与として決められているがゆえに、ルールから自由に、副次的関与のもとでおしゃべりをすることが、難しい。そういう意味で、コミュニケーションを支配的なメディアとするボードゲームにおいては、おしゃべりしづらさという意味での、いささかの孤独感を感じてしまう。このゲームをいくらやったところで、互いの何かが分かることは決して無いだろうな、という、孤独感。

 それは、人狼ゲームでの相手が、かしこいAIに代替可能である孤独感とも、やや似ている。つまり、相手役の人は、その人がこの場に至るまでの歴史は全く関係なく、「占い師」である限りにおいてコミュニケーション可能な存在なのであって、かりに「占い師」としてのコミュニケーションさえできれば、AIに置き換えてしまったとしても、ゲーム進行上はさほど差し支えはない、という。「占い師」としての振る舞い以外の、その人のその人性に対しては、注意を向けるべきではないとするような、人と人が出会い難い孤独感が、ある。
(とはいえ、嘘つくの苦手な人が、つい顔に出ちゃうみたいな、その人のその人性がこぼれ出るときの可笑しさも、ボドゲーにはあるとは思いますが。)

 

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 こういう孤独感を「ボドゲー的孤独感」と名付けたとき、あらかじめルールが明確に決まっていて、参加者がルールに対しては言及できないような、ワークショップ的な場においても、こうした孤独感は現れうるよなあと、ときどき、思う。

 たとえば、「哲学対話」的な場所で、あらかじめ決められたルールがファシリテーター側から持ち込まれてくると、わたしは、けっこう、「うげえ」となる(もちろん、いい哲学対話もたくさんある)。
 とくに(先述のリンクのなかだと)「知識ではなく、自分の経験にそくして話す。」というルールは、知識/経験という区別を、みんなが同様に付けることができるということが前提とされているように思うのだけれども、そんなにクリアに「知識」と「経験」を区別することなんて、できるんだろうか。経験を語るときに用いられる言葉は、どこかで獲得されたものであるという意味で知識だし、逆に、知識もまた、本を読むという行為によって獲得された意味で経験といえそうな気がする。いずれにしても、知識/経験という区別は、万人に開かれたものではない。そうだとしたら、じつは、ファシリテーターの側で持ち込んだ区別が、語るべきこと/語らないべきことを暗黙理に決めているような気がしてしまう。
 もちろん、インテリぶった人が、ほかの人がよく分からない言葉でペラペラ喋りまくるのが嫌だということもあるだろう。でも、そういう場合でも、そのつど、「みんなが分かるように話しましょう」とファシリテーターの側で指摘すれば済む話のような気がする。(多くの場合、本人もよく分かっていないことの方が多い気がするので、それを言うこと自体が、考えを整理するきっかけになることもあるだろう。)それは若干面倒くさいのだけれど、そういうコミュニケーションのコストは、あんまり省略しないほうが良いようにわたしは思う。

 あと、「人の言うことに対して否定的な態度をとらない。」というのも、わたしはよく分からない。参加者の中に、私にとっては差別的だと感じられる発言をする人がいたらどうするんだろう、と思う。意見を否定されたからといって、あなたの人格が否定されたわけではない、という受け手側のスタンス作りの方が大事な気がする。否定の全否定は、大切なことを、いろいろと取りこぼしていく感じがする。

いずれにしても、あらかじめルールはどこかで決まっていて、ルールの側に参加者側が介入できないというのは、あんまり自由な対話ではないのでは、と思ってしまう。

 

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「カラスは発情期になると近づいてきた人間の頭を蹴り飛ばしてきます、構造上飛びながら叩くことはできません。」

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 noteのエディターと違って、「はてなブログ」のほうが、文章が散文的にになるなあ、と思う。 「カラスは発情期になると近づいてきた人間の頭を蹴り飛ばしてきます、構造上飛びながら叩くことはできません。」という文が、なんとなく面白くて、入れ込みたかったのだけれど、この記事には、うまく入れられなかった。最後まで収集がつかなくなって、無理やり入れてみた次第である。(ちなみに、この文は、大学でカラスに襲われかけて、対処法を調べていたときにネットで拾った。帽子を被ると襲われなくなるらしい)

 

 

 書いている文章が、少し散文的になり過ぎている感じがするので、年末年始は、詩か戯曲、短いものでもいいので書いてアップしたいと思う次第であります・・。カーカー。

 

 

今年は博士号がとれてよかったけど、それだけじゃ何にもならんなとも思う、世界のあれこれについて、眺めることくらいしかできない

 

 

 

 

 

はて、読みにくい自己紹介

期せずして、前回に引き続き、自己紹介について、書く。

ただ、いろいろ書きすぎると、へんにストーリー化してしまう嫌いがある。たしかに、ストーリー化して物事を語るのは簡単だし伝わりやすくもあるのだろうけれど、ストーリーであればあるほど、どの自己紹介も、大体、おんなじになってくるように思われる。ストーリーの文法は、思っているよりも強いのだ。

だから、今日はストーリーにならぬように、「読みづらい自己紹介」を書く。

まず、わたしは、社会学者を名乗ってもよいということになっている。今年の9月にPh.D(博士号)も取れた。ただ、社会学者を名乗るにしては、わたしはまだまだ不勉強なところがたくさんあるから、ちょっと気恥ずかしいところもあって、自分の職業を書くようなときには、とりあえず「教員」と書いたりしている。(「大学教員」というのも、ちょっと気取っていて恥ずかしいと思う。)そう、大学の非常勤講師の仕事が、9月から始まったのである。はっきり言って、わたしは、できれば働きたくないと思っている。家で好きな本を読んで、映画を観て、ときどき演劇などを作って生活していければ、それだけで十分である。食事をしたり、家を借りたりしなくても生きていける社会の仕組みが開発されれば、ぜひ、そうなって欲しいものである(その場合でも、おいしいものは食べたいのだけれど)。家賃もできれば払いたくないし、光熱費や水道代も保険料もできれば払いたくない。タダで生かさせてくれよと思う。「仕事がたのしい」という人ももちろんいるだろうから、そういう人たちに仕事は任せておいて、わたしは、やっぱり、家でゴロゴロしていたいと思う。そもそも、わたしは中学校もろくに通っていないものだから、集団生活みたいなものが、根っから、できない。大学生くらいまでは俳優もやっていたけれど、演劇の台詞を覚えて演出家の指示に従うのでさえ、勝手に動いたり喋ったりできないのが嫌になって、やめてしまった。ひとが、ひとの前で喋るのに、どうして決められた決まりに則って喋らないといけないのだろう!演出方法について一貫したドラマツルギーはあってもよいかもしれないけれど、喋り方や動き方にまで介入してくるなんて、余計なお世話ってこった。ぷん!何年か前に、劇場のワークショップで、不登校のときの経験を話させてもらう機会があって、なるべく暗くなったり明るくなったり、勇気づけるようなストーリーになったりしないように、嘘をつかずに喋ろうと思って、とくになにも決めずに喋り始めたのだけれど、「ただただ、将来どうなるか分からなくて不安だった」みたいなことしか喋れなかったような気がする。自分が中学生のとき、千原ジュニア不登校だったみたいな話をされて、だからなんだよ、みたいなことを思っていた。ひととひとは、違う。勝手にひとまとめにしないで欲しい。だから、あんまり明るくならないように話したのだった。最近は、不登校については、社会問題としての理解が深まっていて、家の前に同級生が来て欠席の手紙を毎日届けに来るみたいなことはなくなったようだけれど(私のときはすごく嫌だった)、それでも、社会のレールから一度大きく外れてしまう経験は、なんらかの形で、よかれ悪かれ、その後の人生を左右するものだよなあと思う。そんなわけで、わたしは思春期の初めで、大きくレールから外れたものだから、それ以降、あんまり「人とおんなじ」でないことに恐怖がなくなってしまったのだった。大学のときに同期が就活をしているときも、たしかに自分なりに焦ったりはしていたのだけれど、進路も決めないまま、ぼんやり、漠然と不安になりながら過ごしていた。それは自由ゆえの不安である、と頭のなかのサルトルが言ってくるけれど、当時は不安になりすぎて不眠症になり、うつ状態になっていたのだった。(心の病院は2回予約したけれど、当日になって行くのが怖くなって、無断で行かなかった。さぞ迷惑だったのではないかと思う、すみません。でも、自分の心が「病気」扱いされるのって、なんだか嫌じゃありませんか。)大学は、面白いこともたくさんあったけれど、基本的には何もなかったように思う。わたしは高校が、それなりに特殊で、芸大に行く人もいれば、プロ野球選手になるひとも時々いるような学校で、時間割も自分で自由に組んでよいところだったから、それなりに納得感を持って通っていたのだった。演劇を始めたのも高校からだった。そういうわけで、高校には、(受験期以外は)面白がって通っていたのだった。受験期は、先生も生徒も、東進ハイスクールの講師みたいなことを言い始めるようになったので、卒業が危ぶまれないくらいのギリギリでサボりまくっていた(細々とサボりを積み重ねて、合わせると1ヶ月くらいは休んでいた)。ただ、なべて高校は楽しかった。それでいて、大学は一転、高校の自由さとのギャップもあって、ちょっと期待していたのとは違っていた。わたしが入学前に聞いていた話だと、大学は授業中に後ろの方でギターを弾いている人たちがいて、キャンパス内でセックスしている人がたくさんいる、ということになっていたので期待して入学したのだれど、全然、そんなことはなかった。あるいは、太宰治に憧れて、途中で大学を辞めようとと思って、退学届を入学式の日にもらいに行ったりもしたけれど、結局、辞めることはなかった(もし、太宰治と同じ、東大の仏文科に受かっていたら、辞めていたのではないかと思う、あまり賢くなくてよかった)。大学時代は、大学の制度があれこれと変わっていくような時期で、途中で授業料が10万円値上げされたり、大学の寮が取り壊しになって困る人がたくさん出たようだった。だけど、声をあげるひとは、周りにはいなかった。わたしも、もっと戦うべきだったのかもしれないと今になっては思う。大学を卒業して、とりあえず大学院に進学して、どう、演劇を続けていくべきか迷っていたところで、大学の同期から誘ってもらって、ぺぺぺの会という劇団に参加したのだった。声をかけてくれた人は、俳優として私に出て欲しかったようだったけれど、あんまり俳優はもうやりたくなかったから、制作として参加したのだった。劇団の制作は、なかなか面白かった。思いつくことはなんでも次の日にはやれていたし、全然会ったこともないような人たちと友達になれたから、よかった。制作としての仕事は、劇団の成長や維持といった、作品の中身以外に関わる全般のことだった。仲間が(いろいろな大人の事情で)辞めないですむような、働かなくても楽しく過ごせる場所を作っておきたかったのだけれど、あんまりうまくいかず、わたしも結果として辞めてしまったのだった。わたしはぺぺぺの会にも(それなりに)ムカついていたけれど、どちらかというと、あやふやな演劇業界に対してムカついていたのだと思う。そういう演劇業界の作品、ほんとうに困っていたときの昔の自分に見せたいかと言われると、あんまりそうは思えなかった。1歩、いや、3、4歩くらいは下がって、自分のやってきたことだったり、芸術のことだったり、社会学のことだったり、本当に勉強しなければ、と思ったのが2021年だった。気がついたら、全然ほかの人と違う動きをしていてびっくりした、ということが体操なんかをするとよくあって、演劇のワークショップとかでも、みんなと同じ動きをするのが結構苦手だ、わたしは。あとでビデオで見ると、わざとやってるのかというくらい、自分の動きだけ変だったりする。体育の授業とか、剣道で型を覚えないといけないやつとか、苦手だった。演劇やダンスの振り付けを覚えるのは、今も苦手である。セリフを覚えるのも苦手だった、演劇とか向いてないのかもしれない。演劇の面白いところはたくさんあるけれど、人と人が集まって喋りながら作るところだよなあと、わたしは思う。だから、あんまり作品の完成されたあとの質は、そんなに作っているときの私にとっては大切じゃないような気がしてきていて、集まって喋る口実くらいのノリで、演劇とか、できたらいいのになあと思う。いいじゃありませんか、たかだか、演劇なんだから、そのくらいで。とはいえ、質や評価を求めてしまいがちな、こざかしい自分もいて、自分のなかで折り合いをつけるのが難しいこともある。ちゃんと自己満足するのが大切だと思いつつ、変に他己満足(タコ満足って、ちょっと美味しそうですね)を求めてしまうから、よくない、よくない。タコ満足を求め始めた時点で、なにかサービス業的に、働くことが始まってしまう。労働嫌いの自分としては、許せる事態ではないのであります。うかつにタコになって働いてしまわないように、気をつけよう。ある人が、全然違うように見えたりするのも、演劇の面白いところだ。それがないところのものである、とか書きたくなるけれど、単純に、日常のちょっとした動作を変えるだけで、まったく意味が変わってしまうところに、演劇の魔術的な面白さをわたしは感じてしまう。こういうとき、研究のことについて何かを書く気にならないのは、たぶん、研究のことは、論文なりで、きちんと発散されているからなのだと思う。小さいころ、だまし絵がたくさん載っている絵本(「ふしぎな絵」)という本が、わたしにとっては、ほんとうに不思議で、何度も読み返していた。わたしは、知覚について、とくに研究していて、図とか地とか、そういう現象学的な問題について社会学の方法から考えているのだけれど、なにかそのあたりに、自分のルーツがありそうな感じがしないでもない。演技もそうだけれど、同じ人や同じ絵が、ある文脈に置かれると全然違って見えるのって、わたしにとっては不思議で、魔法みたいだな、と思う。小学生の頃には、ハリーポッターが好きで、魔法使いになりたかったけれど、わたしは、今もじつは、魔法使いになりたいと思っているのかもしれない。ウィンガーディアムレビオーサ。(あなたのはレヴィオッサー。)

 

 

・・あんまり遡ったりぜずに一気に書いたので、一応、ストーリーにはなっていないような気がしている。(とはいえ、なんとなく整理もしてしまった自分もいる)
昔のことは、細かいことは忘れてしまうし、変に語れば語るほど、勝手に着色されていって、捏造されてしまう。(いや、書く以前の、頭のなかにある過去の方も、捏造されていない証拠とかもないのですが。)もうちょっと、ぐちゃぐちゃのままに書けたらとも思うのだけれど、時間が経つにつれて、記憶は整理されてしまった。

自分のことを読み易くせず、逆に、ほかの人のことも、読みやすく理解しないよう、分かり合えぬことから、やっていきたい次第であります。