KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

演劇のチケット代や、読書会についての覚え書き

10月は、わりと、働いていた。
わたしは、これまで平日(働く日)よりも休日のほうが多い生活しかしたことがなかったから、はじめての働く日の方が多い10月は、身体がなかなかついていかず、2回も体調を崩してしまった。自分の専門性が発揮できる仕事はたのしいけれど、そうではない仕事もあって、なかなか折り合いが難しいよなあと思う。

食べるための仕事を手に抱えつつ、傍目に「活躍している」同世代の社会学者のTwitterなど見てしまったりして、(そういう競争はくだらないなと思いつつ)気持ちだけが、ちょっと、焦ったりする日々を過ごしていた。


小劇場演劇のチケット代がどんどん上がりつつづけていて、それはコロナ禍の助成金バブルで上がった俳優のギャラを、雇い手(劇団)の側が下げられなくなっていることに原因があるように私は思っているのだけれど、そうなってくると、観客は減って全体のパイは縮んでいくよなあ、と思ったりする。推測ではあるけれど、観客の数の減少に伴って公演の数も減っていって、大きな制度的な枠組みから庇護された小劇場(と劇団)だけが生き残っていくのだろう、と思う。そうなってしまってよいのかどうか、ちょっとわたしには判断つきかねている。

 

(わたしがやってきた)演劇の場合だと、すでに企画された公演の上演に必要な人たちを集める、ということが多かったように思う。そういうやり方は、たしかに「キャリア」とかを安全に築いていくためには役に立つのだと思うけれど、このやり方の裏側には、「人材」派遣的な発想が紛れ込んでいて、人間と人間の関係性をつくることを難しくしているように思う(つまり、そのとき、人間は「材」でしかないので)。
人間と人間が、人間として集まることのできる演劇という芸術に、そういう発想は本来馴染まないはずで、それを持ち込んでしまうことの歪みが、(少なくとも)チケット代の上昇という形で(も)現れているのだろう。まず人が集まって喋って、それから企画が始まるのでなければ、いくらルールを決めたところで(or 決めるほど)、人間同士の関係性に入ることは難しい。

そういうわけで、この1年くらい、わたしは読書会を開催しまくっている。読書会のいいところは、本に書かれていることに託けて、普段喋ることのできない思いの丈を喋ることができるところだと思う(「アカデミックな」読書会はこの限りではないと思うけれど)。誰かが何かを教える、みたいなふうにならないところもよい。つまり、なにかの最終成果物のもとに集まるのではなくて、ただ集まって喋れるところがいい。

最終的に、なにかの企画に繋がれば嬉しいのだけれど、まずは、気長にだらだらと続けていくつもりである。

 

そんなわけで、読書会、参加したい人(あるいは、いっしょにやっても良いという方)は、もしいたら、連絡くれたら、うれしいです。
よろしくお願いします。