KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

こころをマネジメントしない

「アンガーマネジメント」という言葉、ちらほら耳にする言葉だけれど、あんまり、わたしは馴染めない感じが、どうしてもしてしまう。


そこで言われているのは、(基本的には)業務を円滑にするために、自分で怒りをコントロールしよう、というような話で、なにか自分たちが歯車化されて油を差されているような気持ちになる。

たとえば、デモは民衆の怒りに基づいていると捉えるのが一般的な気がするけれど、そういうデモ的な「怒り」もマネジメントしてしまっていいのだろうか。個人が社会との間に持ちうるザラザラとした摩擦を、個人の側に油を刺していくことによって、最初からなかったことにしてしまうことって、なかなか危険なことだよなあ、とわたしは思う。

 

いや、「アンガーマネジメント」の講師とかやっている立場の人からすれば、デモ的な「怒り」は無くさない方がよい、と当然答えるのだろう(と思う)。
ただ、そうなると、「(マネジメントしなくてもよい)正しい怒り」と「(マネジメントするべき)悪い怒り」の区別が必要になってくるはずで、その怒りの正しさの区別は誰がつけるんだという話になる。もっと言えば、デモ的な怒りでも、良いデモと悪いデモの区別が引かれていくような気がするのだが、その道は、どう考えても、危うい。

そういう、何が正しいのかを決めることのできるような、倫理の基準は、少なくとも「資格」や「(ハラスメントアドバイザーみたいな)職名」によって担保されるものではないだろう。これは当たり前のことだけれど、それでも、そういう「資格」や「職名」を信じちゃうくらいには、みんな、自分自身の倫理への自信を失っている。

倫理的な規則について語っている人が倫理的であるとは限らないのだし、その人が倫理的かどうかは、その人の行ないを見ないと、分からないことだ。規則はわたしたちの振る舞いを原理的には決定できない(もし決定できるとしたら、振る舞いを決定する規則というものが要請されるようになり、じゃあその規則の従い方を決定する規則も・・となり、規則は無限に後退してしまう)のだから、規則は、人の振る舞いを倫理的にし尽くすことはできない。規則への素朴な信頼は、むしろ、規則の運用者に、自分の手元にあった倫理を一任することにさえなりかねないだろう。

 

あたりまえのことだけれど、人間は、怒ったり泣いたりするのだ。

大切なひとやモノを馬鹿にされたり、尊厳を傷つけられたと感じたら怒るし、泣いてしまう。それは無能なことでも、人間として欠陥があるということでも、全くないだろう。

「怒っているヤツ」を、自分をマネジメントできない能力のないヤツとして片付けるのは簡単なことだけれど、耳を傾けていく方向性があってもいいんじゃないかなあと、わたしは思う。「怒り」である限り、大抵、なにかしらの理由はあるわけだし、会って直接、丁寧に話を聴いて、各々(そして、その集団のメンバー)がそのつどの倫理に従って判断していかないと、必ず、わたしたちは教えられる倫理(というか、もはやそれは倫理ですらなく、単に明文化された規則)に身を委ねてしまう。
倫理は、どこかに正解が書いてあるものではなくて、自分の身体とともにある実践のなかで学んでいかないといけないのだと、わたしは、思う。

 

なにか、ザラザラとした現実を、規則を使ってツルツルにしていけば、わたしたちは幸せになれるとするような、規則への素朴な信頼感。そして、そういう規則をどこかの偉い人が教えてくれるという、期待感。そういう、罠に引っかからないように気をつけたい。

 

 

 

十年ぶりくらいに絵を描いた。これは家の近くの猫です

 

自由にしゃべりたい

zoomでの読書会を始めてから、一年と少しが経とうとしている。

月に2回くらいのペースで開いている読書会で、人文系の入門書(いまは「贈与論―資本主義を突き抜けるための哲学―」という本を読んでいる)を読んで、本を読んで思ったこととか、自分の体験談とかを、いい加減にしゃべり散らかしている読書会で、たいてい、最後の方には全然関係ない話になっているのだけれど、わたしは楽しんで参加させてもらっている。(ぜんぜんアカデミックでもなんでもないところが良いところだと思う)

 

近代に入ってまもない頃の、ヨーロッパのコーヒーハウスでは、おしゃべりが盛んになされていて、そこで話された話し言葉と、新聞などの書き言葉が、相互に影響を与え合うことによって、ある種の公共性が成立していたらしい。

そういう公共性って、今の時代でありうるのかなあ、と思ったりしてしまう。SNS全盛のいまの時代で、話し言葉を使ってコミュニケーションを取るのって、レアになっているような気がしなくもない。ひとびとの個人的な出来事や体験同士が、SNSで共有されつつも、バラバラになってしまっていて、そうしたバラバラさが、紋切り型のやりとりを使うことで、見かけ上統合されているように見せられているような気も、してしまう。

逆に、対面のコミュニケーションの場でも、紋切り型のやりとりに終始してしまうことも、けっこうある。なんだか、仕事の場というわけでもないのに、話していると、マックの店員さんと話している気持ちになってきて、誰が来ても、同じように喋るのだろうな、と勝手に思ったりしてきてしまう。あらかじめどう反応すればいいか全部決まりすぎていて、最初は無駄に抵抗してみたりするのだけれど、だんだん疲れてきて、最後には、おとなしく、軍門に降って、私のほうでも決められた役を演じ始めたりしてしまう(そして、演劇が始まってしまう・・)。

こう、ついつい、すぐに正解を聴いてしまう暴力、というか、すぐに結論を語りたがってしまう欲望から、自由になりたい。すぐに正解を聞き出そうとしてしまうとき、けっきょく、あらかじめ私の頭のなかにある、ちょうどいい図式に当てはめようとしているだけなのであって、実のところ、話し相手のことなど、どうでもよくなってしまっている。目の前の相手と、相手の反応を顔やら身振りやらで窺いつつも、だらだら喋るだけ、というところからしか、人と人のバラバラ感を解消していくことはできないのだと思う、今のところは。

「そっち」があって初めて、「こっち」が分かってくるように、異なる人と出会って、コミュニケーションを取りつづけて初めて、わたしがはっきりしてくるのだと思う(そもそも、「こっち」と言いたくなるとき、「そっち」を前提にしている)。

なるべくダラダラと、迷子的なコミュニケーションをとりながら、「こっち」(と、それぞれの「わたし」)について考えていけたら、さいわいである。

 

郡山の空、と、電柱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演劇部の思い出の覚え書き


人生最後の夏休みがはじまった。博士号が取れたのはいいものの、生活は、ちっとも豊かにはならないし、勉強したいことも、しないといけないことも尽きないので、押し潰されそうになったりもする。生活をすることと、研究をすることの両立は、この国では、とても難しい。

だから、今日は海にきた。(家の近所に海がある)
海を見ている間くらいは、ひと息ぐらいついてもバチが当たらないような気がする。
家にいると、生活の不安や研究への強迫観念など、頭に浮かんできてしまって、いけない。

昨日、たまたま高校の演劇部の恩師とバッタリ会ったのだった。
たぶん、わたしは(見た目はわりと変わっているのだが)生活のスタイルはあまり変わっていないように思う。昼に好きなことを勉強して、夜に演劇など作ったりしている。こういう生活をギリギリであれ、続けることができているというのは、さいわいなことだ。
恩師は、いまも夏休みになると、演劇部の高校生や先生たちと一緒に、ちいさな演劇を集めた「小芝居まつり」を上演しつづけているらしい。(先生たちも、3日だけ練習して、出演したりするらしい。)それってすごいことだと、大人になった今の私は思う。

 

演劇は、上手な俳優が出ているからといって面白いとは限らないところが、いいところだ。なにも喋らずに、ただ立っているだけの人が居てもいいし、歌っている人も踊っている人もいてもいい。(いや、いてもいい、というか、とにかく、いるのだ。)

シェイクスピアという劇作家は、「人生みなこれ一つの舞台」と登場人物に言わせたりしていたようだ。
人生が日頃から舞台なのだとしたら、わたしたちは、芸術としての舞台で、わざわざ演じ直す必要もないのかもしれない。普段から、演技しているということになるのだから。(わたしは、あんまりそうは思っていないけれど)

ただ、それでも、あえて、人生のなかで、演劇という一つの舞台を芸術として作ることの良さは、日々の人生という舞台を、その時間だけでも中断させてくれることにあるのかもしれないな、と思う。演劇は、人生の舞台のなかに、入れ子として、ありえたはずの(そして決してありえなかった)舞台を作り出す。演劇は、日々の生活から閉ざされているがゆえに、ありえたであろう日々の生活に開かれている。

昨日は、わたしのありえたはずの人生の可能性を、一瞬だけ、垣間見た気がしたのだった(が、見てもしょうがないので忘れることにした)。

演劇(やほかの芸術)がときどき見せてくれる、ありえたはずの生の可能性を、現実の人生の自由を再確認するための契機として捉えることもできるのかもしれない。実りある植物を育てるときに、小さな芽を間引いていくように、ありえた可能性を諦めて、可能性のなかから自由に自分を剪定し、自分なりの「役」を作り続けるのが人生なのだから、そういう意味で、わたしたちは、いつでも自由に晒されているのだ、というように。(急に崖から飛び降りるように、誰しも、明日には、いまの人生の舞台から降りて、異なる役を演じ始めるかもしれない)

そういう、自分の自由(や責任)を強く捉えて、アンガジェした生き方をすることにも私は憧れはある。
ただ、一方で、それだけではなく、同時に、演技以前に、ただ立っているだけでも、演劇になりうるということ自体、身体(と結びついた「わたし」たち)の魔術的なものを、わたしは感じてしまう。いくら自由に崖から飛び降りることができるからといって、いまの役を辞めて蒸発できるからといって、わたしの身体はわたしの身体のままであるし、生活を成り立たせて、なんとか生きていかなければいけない。料理も、洗濯も、睡眠も、そういう生活の身体に結びついたことについて、わたしはあまり自由が効くとは思えない。この、しかたのない身体、を受け入れて生きていくしかない。どうせあと100年も生きられないのだし。
それでもって、やっぱり私たちは、ある程度お金は欲しいのだ、生きていくために。助成金だかの申請書も、心底くだらないと思うけれど、わたしはまじめに馬鹿馬鹿しく書く。

 

生活はくるしいけども、なんとか、やれる範囲で、生きていきたい。

だから、(いやだからってなんだ)、生活者の身体、なにか、マージナルな、いや、カッコつけたりしない、と筆を止める、とにかく、そういう、生活の演劇、(それはケアとかそういうのも含むのだろうけれどケアという言葉には手垢がつきすぎている)に、興味があるなあと改めて思った次第です、めちゃくちゃである。

 

 

風が通ると気持ちがいい、塩でべとべとになる



 

 

 

 

Ph.D.を取りました(SophiaをPhiloすることをdocereするということ)

調査に協力していただいた方々や、研究会などでコメントを頂いた方々、また、さまざまな形で応援・サポートしていただいた方々のおかげもあり、昨日、Ph.D.(博士号)が取れることになりました。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。

 

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Ph.D.とは、Doctor of Philosophyの略で、日本語だと博士号を意味するものです。
Philosophyの語源が、古代ギリシア語で、Philo(愛する・希求する)+Sophia(知恵)ということは、大学の哲学の授業で教わったので知っていましたが、Doctorについても気になったので、今日、ちょっと調べてみました。

c. 1300年、doctour、"教父"、古フランス語doctourから直接派生し、中世ラテン語doctor "宗教の教師、助言者、学者"、古典ラテン語では"教師"、docere "示す、教える、知らせる"の動詞から派生した名詞、元々は"正しいように見せる"、decere "適切である、ふさわしい"(PIEルート*dek- "受け入れる、受け入れる"から)。
(Online Etymology Dictionaryより:https://www.etymonline.com/jp/word/doctor

つまり、Doctorは、古典ラテン語でのdocere(教える・正しいように見せる・ふさわしい)などに由来しているようです。

 

となると、Ph.D.は、その語源からすると、「知恵を愛することを教える者」とでもなるのかもしれません。責任、重大であります。

とくに、何らかの「知恵」を教えることのできる人は、世の中に多いように思いますが、「知恵を愛する」ことを教えるというのは、とても難しいことです。

何かを「愛する」ということは、その愛される何かを、それ自体を手段として捉えるのではなく、目的として捉えるということでもあります。たとえば、「恋人を愛する」ということは、それが何か役に立ったり、喜びを与えてくれるからという理由で愛するのではなく、ただ、その人を唯一無二の存在として認め尊重するということ、でしょう。

そうだとしたら、「知恵を愛する」ということは、知恵を、なにかに役立てるための道具として(いわゆる「情報」として)かき集めるのではなく、知恵それ自体を目的として愛すること、になるでしょう。


ハイデガーという20世紀の哲学者が、『技術とは何だろうか』という本のなかで書いていたことによれば、「技術」が世界を覆っていくにつれて、さまざまなモノやコトが、役に立つための道具であるかのように、わたしたちには見えてきてしまう。たとえば、人間が、たんなる「労働力」として見えてきたり、芸術が、たんなる「商品」として見えてきてしまう。いまの世界で、なにかを「道具」ではなく、それ自体、目的として見て、それを愛するということは、とても難しいことです。

ましてや、「知恵」をそれ自体として愛することは、なおさらでしょう。何か「役に立つ」道具としての勉強ではなく、差し当たりの「役に立つ/立たない」とは関係ないところで、「知恵」自体を目的として愛すること。これは、とても、難しい。

けれども、こういう「知恵を(それ自体として)愛する」ことからしか、世の中は変わっていかないように、わたしは思っています。「役に立つ/立たない」という基準が、いまの世の中から与えられた基準である限り、いまの世の中を変える力を持つことは、論理的にありえません。
「知恵を(それ自体として)愛する」ことは、そうした世の中を、もしかしたら、ちょっといい方向に、変えてくれるかもしれない。「知恵を愛する」ということは、おそらく、そういうことなのだと思います。

 

こういう、「知恵の愛し方」を教えることが、Ph.D.であるのだとしたら、今の時代においては、とても困難な仕事です。ですが、同時に、意義深い仕事だとも、思います。

Ph.D.として、つまり、「知恵を(それ自体で)愛することを教える」ことを、少しずつ、実践できたら、さいわいです。がんばります。

 

 

演劇創作における、ポリシーのような、やり方のような、もの

今日は、わたしが作品作りに関わらせていただくときの、関わり方について、ある程度文章にしておきたいと思います。

 

というのは、以前わたしが所属していた劇団の主宰の方が、最近のnoteで「鈴木(私)が、公演のプロデューサーとして、とにかく新しい演劇を作って注目を集めようと言っていた(がゆえに、主宰が演出家を務めていた作品がつまらなくなってしまった)」という主旨のことを(名指しではないにせよ)書いていたらしく、そのことを、わたしの信頼できる友人が不審に思って、わたしに教えてくれました。

 

わたしは、(これを事実だとはとても思えないのだけれど)こういう正確性の乏しいネットの記事に対して、逐次、反論することは基本的にはありません。他にやっておきたいことも多いし、反論していると悲しくなってくるし・・、いくら酷いことを書かれても、「泣き寝入り」して終わらせることがほとんどです。

だけれど、最近はryuchellさんの自殺のことなどあり、少し考え方が変わりつつあります。わたしが「泣き寝入り」することによって、今後、ほかの方が攻撃されるということもありうるかと思うからです。それは、その主宰の方が、ではなくて、社会全体のなかでそういうムードが作り上げられる、ということです。(「どうせ誰も反論してこないからいいだろう」というような空気が広がっていく。)

 


・・とはいえ、わたしは、直接、面と向かって言ってこない相手に対しては、できる限り、関わりたくない。それに、同郷の旧友のことを、公の場で悪く書こうという気にも、全くならない。そんな悲しいことを、わたしは、したくない。

 

じゃあ、どうしよう。
そんなことを考えながら、数日、モヤモヤと悩んでいたのでした。

 

そこで、今日は、ちょっと少し視点を変えて、これを、私の考え方について書くための、よい機会として捉えてみたいと思います。

つまり、この機会に、ふだん私が従うようにしている、舞台芸術の創作に関わるときの「やり方(ポリシー)」について、書いてみたいと思います。
 以下で書く、「やり方」が、すこし「変」であるという自覚はあるので、あまり他所で明示的に書いたことはなかったのですが、これを機会に、勇気を持って文字に起こしておくのもよいかな、と。
(なお、「ポリシー」という言葉の仰々しさに、小心者ゆえに恥ずかしさを感じるので、「やり方」としました・・)

 

ふだん、こういうことを考えながら、舞台の作品制作に関わっています。

 

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1.制作者やプロデューサーとして参加した作品においては、作品の内容について口を出すことは、原則ありません。

 制作者として参加するときは、作品の内容に口を出すことは、先方から求められない限りは、ありません。
 公演の経済的な意味での責任者と、作品としての質においての責任者は、できる限り分けるべきだと考えています。(これは、「三権分立」の考え方に限りなく近いものを想定しています。「俳優」「制作者」「演出家」の責任の範囲は、明確に分けた方がよいのではないかと考えています。)
 その代わりに、制作をやらせてもらった公演の経済的な面については、全責任を私が負います。予算の執行権限がわたしにある(あった)以上、もし赤字になれば、すべて私の責任だと思っています。

 ただし、口を出さないとはいっても、明らかに倫理的に問題がある(たとえば、差別的な表現がある)ときには、それが作品にとって本当に必要なのかどうか、必ず、尋ねるようにします(その場合でも、中身に対して、検閲のようなことをすることは、これまでも、これからも、ありません。)
 万一、それに対する説明に納得できなかった場合、わたしはその公演の降板を申し出ます。

 

2.ドラマトゥルクとして参加した作品においては、一切の忖度なく、作品について口を出します。そのために、(今のところは)すべて無償で引き受けています。

 ドラマトゥルクは、基本的には、座組の一員として、演出家をサポートする立場だと考えています。他方で、(マイルドな表現にはしつつも)問題があると感じたときには、それについて、できる限り説得的な形で、指摘します。

 というのは、わたしが参加させてもらう作品はすべて、何らかの社会問題を扱った作品で、その(何らかの形での)当事者が観劇に来る場合が非常に多いです。社会学者としての何らかの知識を期待されて声をかけていただくことが多い以上、作品に何かしらの問題(事実上の問題・倫理的な問題など)がある場合は、口を出します。

 

 このとき、金銭を媒介とした忖度が生じないよう、劇団や演出家側から、私は一切の報酬を頂戴しません(これまでも何度かドラマトゥルクとして作品に参加させてもらったことがありましたが、すべて、無償でやっています)。
 その代わりに、何らかの形で社会に還元されていくような作品(つまり、なんらかの社会問題を丁寧に扱った作品)にだけ、ドラマトゥルクとして参加するようにしています。ドラマトゥルクとしての仕事は、「交換」の関係でなく、「贈与」の関係のなかでやりたいと考えています。(つまりは、ボランティア活動のようなものです)

 

 

3.アート市場で注目を浴びるためだけに作られた作品には、今後も、一切、関与しません。

 たびたび、以前書いていたnoteやブログで取り上げていたテーマ(たとえば、この記事など)ですが、「珍奇な試みをすることで、アート市場で注目を浴びる」というだけの作品には、今後も、一切関与しません。(これまでもそういう作品に関与したつもりは、私の方ではありません)

 また、「流行り」とされている社会問題(とくに「マイノリティ」と名指される当事者がいる問題)を、ろくに勉強もしないまま、不十分な形で取り扱っている作品に対しても、一切関与しません。

 なにか新しいことを説得的にするためには、必ず、それを理解してもらうための言葉が必要です。そして、そういう言葉は、作り手が、まことの意味で勉強をし、研鑽を重ねたときにしか、出てこないように私は思います。勉強不足でその題材を取り扱うことは、ときとして、差別を助長することにもつながります。
 だから、わたしは、自分の作品に関する勉強を、真摯に続けている人とだけ、仕事をするようにしています。

 

 

4.座組内での差別・排除があったときには、できる限り、言葉にします。改善がされなかったときには、降板を申し出ます。

 差別的だと感じられる振る舞いが、放置されている劇団や座組に、わたしが居続けることはありません。
 もし、そういう振る舞いを見つけてしまったときには、(作品制作が著しく遅れることになったとしても)座組全体に開かれた形で議論を(できるなら)試みたいと考えています。

 ハラスメントのガイドラインに違反しているかどうか、というような話以前に、そもそも、何を、その座組では差別だと考えるのか、というところから、私は話し合いたいです。それでも問題があると感じられたときには、わたしは、なるべく迷惑のかからない形で、団体を去ります。

 

5.自分が作者・演出家として関わった作品について、作品の質を、俳優やスタッフに帰責させることはありません。

 最近は、作り手として関わらせてもらう機会が、ありがたいことに何度かあり、今後も、少しずつ増えていくのではないかと予想しています。そうしたなかで、舞台芸術はいろいろな人が関わる生き物のような部分があって、作家や演出家だけで制御しきれない部分も多いと思いので、今後、創作の過程で、自分の責任の範囲が曖昧になりかけることも、もしかしたらあるのかもしれません。
 しかし、それでも、わたしが作った作品に関する全責任は、関わってくださる人に押し付けたりせず、未来永劫、私が背負いたいと思います。

 

 

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 以上は、ふだん考えていることの一部で、すべてを網羅しているわけではありません。

 川の流れが段々と変わっていくように、考え方も、人も、変わっていきます。ここに書いたことも、時間をかけて、少しずつ、私のなかで変わっていくのだと思います。

 

 

 minatosuzuki.openaddress@gmail.com

 もし、どなたでも、なにかご意見あれば、メールでも、なんでも、連絡ください。なにか一緒に食べながら、みたいなのでも、もちろん大丈夫です。
 (また、一緒に長いスパンで作品を作ってくれるひとも、なんとなく探しているので、気になったら、一緒に海にでもいきましょう)

 

 

 

 

海も川も、夏になると色が違う気がする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

からだのやさしさから考えたい

 

「やさしさ」を明文化したり、ルール化したりすることに対して、警戒していきたいと思う。

 

「やさしさ」って、そもそもそんなに簡単に言葉にできるものじゃないというか、「これこれのルールを守っているから優しい」とか、そういう話ではなかったと思うのだよな。もっと、道で倒れている他人をさっと助けるとか、電車で落とし物をして降りていこうとしていく人にとっさに声をかけるとか、そういう、からだの瞬発性のことを、わたしは「やさしさ」と呼びたい気がする。

 

ルール化されたやさしさと、からだのやさしさを区別したい。わたしは、ときどき、いろんなグループとか、集まりとかに参加させてもらうことがあるのだけれど、なにか最初から「やさしいルール」が決まっていて、それについては問いかけることができない、という構造を感じてしまうと、途端に参加する気がなくなってしまう。(より正確に言えば、「やさしいルール」を決めている人に対して、無意識に自分自身が忖度し始めるのをかんじてしまって、自分に嫌らしさを感じて、参加しなくなってしまう。)

たしかに、デリケートな内容について話すときには、主宰者側が、ある程度、ルールを明確にしておいた方が、みんな安心して参加できるということもあるだろう。無駄に傷つく機会は少ない方がいいと私も思う。ただ、そんなにセンシティブとは思えないテーマで、いろいろ予めルールが決まっていると、途端に、私にとって参加のハードルが高く感じてしまうのだよな。そもそも、そのルールは誰が決めたんだろう、とか、気になってしまう。

 

何年か前に、劇場関係のオープンダイアローグのイベントに、一般の参加者として参加させてもらったときに、「批判はしない」みたいなルールが予め決められていて、わたしはちょっと怖いなと思ってしまった。だれが、批判と、そうでないものを区別するのだろう。あるいは、ルールの側が間違っていたらどうするんだろう、とか、いろいろ、面倒くさいことが頭を巡ってしまった。(そのときは、イベントが終わったあと、ファシリテーターの方に、オープンダイアローグについて書かれた本を教えて欲しいと聞いたら、そんな簡単に分かるものじゃないから、これこれのイベントに来なさい、みたいなことを言われて、ちょっとびっくりしたのだった・・。)


なにか、そういう、「予め定められた優しさ」みたいなものに遭遇することがこの数年増えていて、げんなりしている。ルールのもとでの「予め定められたやさしさ」のなかでは、そこで見過ごされている問題を指摘すること自体が、「優しくなさ」として現れてきてしまうだろう。だけれど、たとえばナチ政権下のドイツで、遵法意識だけ高かったアイヒマン(ナチのホロコーストを法に則って進めた人物のこと)に対して反対した、当時の政権下では違法だった人たちのことを、わたしは「優しくない」人たちとは、とても思えない。むしろ、「やさしい」とはそういうことのような気がしている。ルールのもとで「予め定められたやさしさ」と、「からだのやさしさ」の間には、天と地ほどの差がある。

そもそも、社会のなかでメジャーな価値観にベタに生きている限り、その社会で起こっている排除は、排除としてすら、きっと見えてこないだろう。排除は、巧みに隠蔽されている。そうした排除は、ときどき顔を覗かせたとしても、一瞬でいつもの日常に埋めこまれていくだろう。すでに発見されている排除の問題を「コスパ良く」解決していくことも重要なのだろうけれど、その一方で、一瞬で過ぎ去っていく、日常の小さな排除に敏感でありたいな、わたしは。

 

天から降ってきた「やさしいルール」をありがたく享受するのではなくて、そもそも、何が正しいのかすら分かり合えない人たちと、とりあえずのルールを話し合って決めていくところから、ちいさな社会をはじめていけたら、と思う次第であります・・。

 

 

 

ぼーっとする散歩を日常へ差し戻したい



 

 

 

 

 

勉強のこと

博士論文の提出が終わって、悠々自適の生活を送っている。おそらく、今年の夏は、わたしにとって、人生最後の、まとまった夏休みになるのだと思う。

 

20代前半の間、あちこちに顔を出しては、いろいろ勉強した気になっていたのだけれど、結局のところ、一人で本を読んでいた時間が、一番勉強になっているように思う。

やっぱり、インスタントに学んだことは、やっぱりインスタントに消化されている。一時期、NHKアーカイブが見られるサブスクで「100 de 名著」を観まくっていたのだけれど、(わたしの貧弱な記憶力のせいもあるだろうが)ほとんど覚えていない。山の上から撮られた写真を見るのと、じっさいに山の上に登って景色を見ることぐらい、いわゆる「ファスト教養」と、じっさいに自分で考えたことの間には、差があるように思う。博士課程のあいだ、私は、どれだけ自分の足で、絶景を眺めることができただろうか。

 

どうしてこんなに忙しいのだろう、と思う。

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を観て、イタリア人は、仕事の昼休憩のたびに、自宅に帰って、家族と一緒に2時間昼食を食べるということを、はじめて知った。2時間あれば、大学から市川の自宅まで帰って、パートナーと一緒にご飯食べられるのになあ、と思う。なにか忙しいわりに、(いや、忙しいからこそ、)いろいろなことが、インスタントに消化されていって、寿命だけが縮んでいる気がする。

最近、無駄に化粧水とか乳液とか、ビタミン剤とか使って、定期的に運動するなど、寿命を伸ばそう伸ばそうと、私はしているのだけれど、気をつけないと、楽しい時間が増えることなく、寿命だけが無駄に伸びきって、しなしなになっていく未来も見えなくはない。お肌だけではなく、人生もケアし続けないと、とか思う(それを「ケア」とか言い始めた時点で、「伸び」が始まりつつある気がしなくもないのだが)。

 

今年の夏は、老いても、毎日たのしく生きるくらいの筋肉がつけられるよう、今しか登れない山を登りたい次第です。ある種の「老い活」として・・。

 

 

 

 

 

パスタばかり食べている、夏バテの原因かもしれない