「おさんぽ団」をつくりたい。
知っている人や、知らない人と集まって、おさんぽがしたい。
当日は、みんなで適当な場所に集まって、目的地を話し合って決めて、そこに向かってひたすら歩きたい。
そんで、Google MAPとかは見ずに、ひたすら、ずんずん歩いて行って、道に迷えたりしたらよい。でも、全然知らない森のなかとかに迷い込むのはちょっと怖いので、なんだか楽しそうな感じのところに向かって、歩いて行けたらいい。
疲れてきたら、みんなで疲れたねとか言いながら、通りすがりの銭湯に入って、目的地に辿り着かずに、それぞれが、別々の岐路につくことができたら、最高だ。
これを「おさんぽ団」の第1回公演、「おさんぽをする」と名付けたい……。
なにかゴールが決まっていて、ゴールに辿り着かないと失敗ということになってしまう活動から、少し距離をとってみたい。上演に向かって、単線的に進んでいくことは、上演のなかの時間が「オチ」に向かって単線的に進んでいくことと、よく似ている。そういう物語的世界観に浸ってばかりいると、老いることが、あたかも恐ろしいことのようにみえてくるから、いけない。
ゴールに進んでいく道筋として過程を捉えるのではなくて、過程を歩むための道具立てとしてゴールのような何かを、とりあえず、措いておく。ゴールがなければ、過程を作れないから、過程のためにゴールは大切だ。
だけれど、もし本当に、ゴールなんてしてしまったら、楽しむべき過程が終わってしまう。だから、ゴールは、いい加減でいい。できる限り、曖昧で、漠然としていて、迷子になるための余地があるゴールが、よいゴールだ。
稽古をするために上演があるのであって、上演のために稽古があるのではない。上演なんて成功してしまったら、もう、稽古ができなくなってしまう。かなしいことだ。
「目的意識」なんて持ってしまうことがないように、まことに気をつけていきたい所存です。