KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

ちょい長20代の終わりと

 またしばらく、ブログを更新していなかった。

 このところ、何年か前に提出した博士論文を、本の形にして出版するための準備をしていた(人文系の博士論文は、卒業後の数年のうちに本の形にして出版するのが一般的である)。ずっと文章を書いていたものだから、休憩時間にまでブログで文章を書くのが億劫になってしまっていたのだった。

 こういう、ブログのなかで、どうでもよいことを息抜き的に書いている時間が、一番、自分の頭の中がまとまっていく気がする。日頃ぼんやり頭に浮かんでくることは、たまにはこうして、文字の形にして、固めておくのもよい。

 

 今書いている本、このあとも、いろいろ審査があったりするので、まだ本として出版できると決まったわけでは全くないのだけれど、ひとまずは、ずっとやっていた仕事について、一応の区切りがついたわけである。

 世界史の用語で、「長い19世紀」という言葉がある。これは、フランス革命(18世紀の終わり頃)から第一次世界大戦の開始(20世紀の初めごろ)をのあいだの130年くらいの時間を指す、らしい。市民革命が起こってから、あちこちに植民地が広がって、最後には市民同士が戦争を始めるまでが、「長い19世紀」と呼ばれる。ちょっと洒落ていて、面白いなと思う。私たちの過ごしている時間は、日々の生活のなかでも、大きな歴史のなかでも、時計の時間には還元できないもので、この「長い19世紀」という言い方は、私たちは「時間」を、伸び縮みするものとして捉えていることを端的に示している。(いや、もう少し言えば、伸び縮みするものとして時間を捉えた方が、[時間的な勤勉さが求められる例外的な今の社会を除いては、]基本的に便利なことが多いのだと思う。)

 

 どうでもいい。またペダンティックなことを書いてしまった。

 

 ともあれ、20代のうちの半分くらいの時間を捧げた博士論文が、ひとまず手を離れたわけである。大学入学から、博士論文を本の形にするまでの「ちょい長20代」に、ようやく、今になって区切りがついた。20代は、ようやく終わった。

 わたしはようやく、30代の地平にほっぽり出されたわけだ。

 

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 さて、これから、何をしようかしら。

 

 ずっと永遠に言っていて、未だにやっていないことだけれど、演劇の戯曲を書いてみたい。

 戯曲は、一応、大学生のときに数本書いたことはあった。でも、自分で書いていると、自分の才能の無さを突きつけられ続けるような気持ちがしてくる。それが私にとっては苦痛で、大学のそばの小さな喫茶店で、ずっとウンウン悩んでいた気がする。おかげで今もコーヒー中毒になってしまった。

 とくに演劇の場合だと、戯曲に自分が書いた言葉は、後日、役者をやってくれる友だちが声に出して読むことになる。もしつまんないこと書いちゃって、稽古場が微妙な空気になっちゃったらどうしよう、みたいなことばかり、こっそり考えていたような気がする。基本的に、戯曲を書くことは、わたしのなかで、恥ずかしさと同居していた。
 

 でも、まあ、今更、恥ずかしいとか、才能がどうとか、そういうことが気になる年でもない。
 もはや怒ってくるサークルの先輩もいないのだし、怒られてもヘラヘラやり過ごす術は卒業後に十分なほど身につけたわけだし、「恥のかき捨て」で、色々と、気になることをやっていくのも悪くないだろう。
 30代は論文だけではなくて、戯曲としても、いろいろ形にしていきたい。とはいえ、あんまり自分にプレッシャーかけすぎると、ハードル上がって途端にやりたくなくなるので、公園の隅で水彩画とか書いている老人になったつもりで、ゆるゆるやっていきたい。

 (いや、「ゆるゆる」とか言うと、公園の隅の老人には怒られるかもしれないけれど……。)

 

 

 

 

6月にまた沖縄に行ったのだった、シーサー