KATTE

パフォーミングアーツや社会学のことについて、勝手にあれこれ書いています

つくりたいシリーズ②:集団で迷子になる

 

 

「コミュニケーション能力」という言葉は、本来目的だったはずの「コミュニケーション」を、目的達成のための手段にしてしまうところがあると思う。

たとえば、「合意」を得るための手段として、コミュニケーション能力が必要である、というように・・。

 

だけれど、そもそも、わたしたちの人生のなかで楽しい時間は、何らかの形で、人とコミュニケーションをとっている時間だった(とわたしは思う)。
人生で楽しかった時間を思い返してみると、友だちとご飯を食べてながらおしゃべりしている時間だったり、演劇をみんなで作っている時間だったりする、わたしは。

だから、コミュニケーション(と呼ばれているもの)を、手段としてではなく、目的として捉えてみたい。

 

 

 

以前の記事で、「おさんぽ団」を作りたいという話をしたのだった。

 

この記事では、コミュニケーションを取るために、おさんぽ団をつくるという話を書いておいたのだった。

もし、おさんぽとして、コミュニケーションを取るのであれば、当然、迷子になったほうがよい。迷子でいる間は、目的地に辿り着かないので、おさんぽ(コミュニケーション)は終わらないからである。

そして、迷子になるためには、なんでもよいので、いい加減な目的地を作っておいたほうがよい。
目的地のない迷子は、もはや迷子ではないのだから、いい加減な目的地は、迷子であるためにもあったほうがよい。(同じように、演劇のなかで、上演のために稽古があるわけではないけれど、稽古するためには、上演があったほうがよい。そうでないと、私たちは迷子にはなれないからである。)

 

 

そんなわけで、「集団で迷子になる」をやってみたい。

適当な駅で集まって、「らくだを見に行く」とか、適当なことを目的地にして、地図とか見ずに歩き回りたい。(上野動物園とかに、らくだはいるんだろうか、いないほうが当然よい)

 

できれば、らくだとか見つからずに、疲れてきたあたりで解散できたら、よいです。

 

 

 

 

 

ツバメは人々を監視している